ホワイトレディ
中途半端な時間にカフェに入ってしまったので、お腹は空いていないけれども、そのまま帰るのはなんだか名残惜しい春の夜。ちょっと冒険してみようと、ホテルのバーラウンジへ。
わたしはカクテルを。もう一人は、ウィスキーを。お供には、チョコレートを。
夜も更けたホテルのバーラウンジは、一人でゆっくりと過ごすお姉様もいれば、カップルもいれば、大人の家族連れも。みんなが、それぞれに思い思いの時間を過ごしている。
聴覚障害のあるわたしは、自分の声のボリュームを調整することが難しい。補聴器ではきこえにくい周波数を増幅しているけれども、それはあくまで機械を通した音なので、こういう静かな場所では思いがけず声が響いてしまうことがある。だから、この日のコミュニケーションモードは手話で。
世間の理解が進んできたからか、手話を扱ったドラマが立て続け放送されたからか、最近は街中で手話を使っていても、まじまじと見られることは少なくなってきた。わたしたちも、自然に手話を使って会話をすることが増えてきたような気がする。
バーのような、それぞれが自分たちの時間を楽しむ場所では特に、その傾向が強い。だからか、周りの目を気にせずに楽しくお喋りを楽しむことができた。
出会った頃のわたしたちだったら、お互いに口の形をはっきりと動かして口パクでおしゃべりをしていただろう。でも、月日をかけてお互いに手話を覚えて、全部の会話を手話で楽しんでしまった。
「補聴器があれば聴き取れるし」「口の形読めるし」と強がっていた時期もあったけれども、両手が塞がっていれば口の形が読み取れるし、そうでないときは手話もできるし、補聴器を使って共に音を楽しむこともできる。
声量の調整が難しいところでは手話をすればいいし、そうでないときは併用しても良い。伝わり合える手段は、ひとつでも多い方が生きやすい。そう思えるようになったのと、周りの目が気にならなくなったのは、多分同じくらいのタイミングで。
一杯のお酒を味わい終えて外に出ると、お月様がもう真上近くに。昼間はポカポカ陽気だけれども、夜はまだまだ冷える今日この頃。お酒で身体を温めて、思う存分おしゃべりを楽しんで心を温めて、家路についた。るんたった。