見出し画像

#俺が喰ってやる

アニメ『ブルーロック』シーズン1視聴完了

本屋好きとしては目に入っていたけど、それほど興味が湧いたわけではなかった。サッカー漫画は野球漫画と同様に様々なバリエーションがあり、テーマはほぼ出尽くしたのではないかと思っていたからだ。

全日本女子プロレスを描いた『極悪嬢王』が見たくてネットフリックスに加入した。リング内外の描き方が秀逸で、プロレスファンとしては極上の時間を過ごさせてもらった。

『極悪嬢王』を皮切りに『ちひろさん』『地面師たち』『全裸監督1、2』『サンクチュアリ』と話題作を一気見する贅沢を味わった。サッカーライターになるために年間200本の映画視聴をノルマとして課した、20代前半の必死だった頃を思い出した。

さて、次は大好きな満島ひかりちゃんの『FIRST Love』かなと思っていたら、アニメジャンルに『ブルーロック』があった。『全裸監督』を一気見して疲れていたので、短時間で視聴できる『ブルーロック』第一話をクリックしてみた。ハマった。

まず設定が面白かった。ストライカーのみを集めて育成を図る。強化指定された選手はエリートばかりではない。キャプテン翼をリアルタイムで見た世代としては主人公は万能がスタンダードだけど、ボクの好きな『シュート』は主人公が成長する物語だった。その共通点が虜になった理由の一つだと思う。

成長曲線のリアル

ここからはネタバレを含みますのでご注意を。主人公の潔世一はストライカー育成施設、通称「ブルーロック」でライバルたちと鎬を削りながら成長していく。

漫画なので当然、短時間での成長が著しい。少し前までは相手にもされなかった選手を見下すシーンも出てくる。所詮、漫画だろうと思うかもしれないが、若い選手の伸びしろは漫画のように急角度だ。

ボクが担当していた栃木SCでも、1試合、いやワンプレーで才能を開花させた選手がいる。例えば、佐々木竜太選手。鹿島から加入した際はテクニックは図抜けていたが、それゆえに強度の高いプレーに難があった。

ところが、あの試合のワンプレーで劇的に変わった。相手のタックルを恐れずに球際を制すると、持ち味の攻撃面の良さにより磨きがかかった。『ブルーロック』では、それを掛け算で表現していた。

自分の持ち味に何をかけ合わせれば、より厄介なプレーヤーになるか。問い続けながらプレーする選手は、自分の中で解答を見つけられる。見つけた途端に大化けする。

横浜F・マリノスからやってきた水沼宏太選手も、きっかけを掴んだ選手の一人だ。元々、豊富なスタミナとテクニックには定評があった。ただ、佐々木選手と同様に、上手いがゆえにバトルできていない局面も散見された。

栃木SCに加入してから、しばらく伸び悩んだ。しかし、当時の指揮官、松田浩監督からのアドバイスと、それを自分の中で咀嚼できたことでチームの核となった。時間が経てば経つほどに存在感は増していった。

栃木SCから離れた後に鳥栖、FC東京、C大阪を経て、幼い頃から慣れ親しんだ横浜F・マリノスへ再加入を果たした。異例のルートを歩めたのも、若い頃に才能が開花したからだろう。

宏太くんは現在もトップレベルでプレーしている。先日のACLEでもゴールを奪っている。ベテランの領域に足を踏み入れてもステージを下げることなくプレーできているのは驚愕に値する。

潔世一の成長曲線は漫画だけに異常だが、現実世界でもきっかけひとつでブレイクスルーことは多々ある。あながちフィクションとも言えない。リアリティがまぶされているところが『ブルーロック』人気を呼んでいるのではないか。

俺が喰ってやる

主人公の潔世一は「ブルーロック」に入るまで自分の才能に気が付いていなかった。空間把握能力が自身のスペックだと認識してからは、ひたすら武器を磨いていく。その過程ではライバルとの熾烈なサバイバルがある。

選考課程で脱落すれば「ブルーロック」から弾き出されるだけでなく、二度と日本代表に召集されないという過酷さ。ハードルが高すぎるからこそ、自分にないのもをプラスするらめに、潔はライバルたちに教えを乞う。

夢が絶たれるくらいならば、ライバルに頭を下げることも厭わない。また何度挫折しても、それを糧にできる精神力は、いつの間にか潔の幹を太くしていく。「俺が喰ってやる」は潔の決め台詞。ライバルの特性を柔軟に吸収して自分のモノにする様は、実社会でも有効な手段だ。

クリエイティブな仕事に従事していると、オリジナルを求めがちだ。ゼロから何かを産み出そうと必死になる。ほんの一握りの天才は、創造主たることができるだろう。でも、それができるのは、ごくごく僅か。だから天才なのだ。

クリエイティブは1から10を作ることだと、最近になってようやく気が付いた。気が付いたと同時に落胆もした。ゼロ→イチができるほど才能がないのかと。一方で、うれしくもあった。クリエイティブは組み合わせだからだ。

既にあるモノ同士を組み合わせれば可能性は無限に広がっていく。アイディアが枯渇するなんて一丁前にカッコいいことをほざいていた時期が懐かしい。アイディアは枯渇なんかしない。組み合わせだから。

そう思うようになってから他人のコピーも文章も認められるようになった。それ以前は全てを否定していた。自分が一番だと思うために。まさに、『ブルーロック』でいえば馬狼照英。

独りよがりだった馬狼。実力は申し分なく負け知らず。主人公の潔も一度は完膚なきまでに叩きのめされた。だが、馬狼を潔が超える瞬間が訪れる。馬狼は絶望の淵に立たされる。そこで己の弱さ、未熟さに気が付き、敗北をバネに成長を遂げる。

ボクも何度も挫折している。なんなら毎月、挫折している。それは師匠・藤島大の文章がスポーツ総合雑誌『Number』に掲載されるからだ。師匠の文章を見る度に、自分の至らなさを痛感する。いつかは超えたい。その思いはあるが、『ブルーロック』的に見れば、ボクと師匠では特性が異なる。喰ってやらなければならないところはあるが、特性が違うのだから真似ばかりしても人に刺さる文章にはならない。

潔が自分の特性を把握して飛躍したように、ボクも自分の個性を伸ばすために師匠以外の人の文章、デザイン、映画、音楽など、幅広い分野の良いモノを喰っていく必要がある。

書き手として、これ以上は伸びない、と思い嘆いた時期もあるが、今は潔のように自分がどこまで行けるのか楽しみで仕方がない。サッカーのように明確に勝ち負けが出るわけではないが、その勝敗は自分が分かっていれば問題ない。

プロフェッショナルは、つぶやく

少し前にNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』のプロデューサーの講義を聴講した。彼が取材したプロフェッショナルは、例外なく「ひとりごと」を言っていた。ひとりごとのようで、それは自分との対話。つまり、プロフェッショナルはつぶやく、とボクは仮説を立てた。

さて、どうだろう。『ブルーロック』の潔も、『鬼滅の刃』の竈門 炭治郎も、『エヴァンゲリオン』の碇シンジも、元巨人の桑田真澄投手も、ぶつぶつとつぶやている。自己対話は成長に不可欠なピースであることが分かる。

周囲に迷惑だと分かりつつ、ボクも仕事場ではぶつぶつ言っている。プロフェッショナルになるために、それは必要なことだと分かったので、周囲に理解を得ながらも続けていきたい習慣だ。

主人公の盟友、蜂楽廻は殻を破る際に、モンスターという他者依存を捨て去った。ボクがお稽古で学んでいることも、これとほぼ同じだ。自分の孤独、不満、不安、憤りは、誰も癒せない。癒せるのは自分のみ。

本当か?と思うが、本当なのだ。孤独は他人が癒してくると思いがちだが、他人は癒してくれない。自分で味わい、リリースするしかない。

この原理が分かったことで、だいぶ楽になった。結局は、自分次第だからだ。他人に人生を左右されずに済む。道を切り開く選択権を握っていると思えば、ずっと人生は楽しくなる。過酷な一面もあるが。

そろそろ『ブルーロック』第2期がスタートするようだ。次は、どんな学びを与えてくれるのか。楽しみで仕方がない。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集