
激しすぎる怒りの根源は?
定期的に襲われる激しい怒り
孤独が強いことは、以前からここで書いている。加えて、ボクは怒りも強い。
普段からピリピリしているわけではない。だって、かなりの高確率で出先で記念撮影のカメラマンを頼まれるから。怒りが滲み出ている人には依頼しないでしょ?というわけで、基本的に穏やかな性格ではある。
ラブ&ピースが信条ではあるけれど、職業柄、議論をすることは多々ある。制作物を良くするためだ。それは全く問題ない。問題なのは、身内を出し抜こうとする事態に直面した時だ。
ボクの仕事は基本的に日本語を扱う。誰でも使える。便利である一方、デザイナーさんや、動画編集チームみたいに専門のソフトを使うわけではない。いくらでもいじくることができる。
ワード、エクセル、パワーポイント、PDFとデータを渡せば編集し放題だ。暗黙の了解で営業チームは編集などしないのだが、一部例外もいる。いるのです。
それが改善ならば、こちらも受け入れるが、残念ながら改悪の場合が、ほとんどだ。ボクら制作陣が必死に考えたものに対して、まぐれ当たりのホームランが出ることはあっても、その確率は著しく低い。だから、改悪になってしまうのだ。
質が悪いのは、改悪を改悪と思っていないこと。自分の意見が正しいと思っていること。これは、もう、コミュケーションが取れない。
みんなが反対しているのに、スタンドプレーに走られるとどうしようもない。暴走していることが分かっているけど、窓口が営業チームだから止められない。困ったもんだ。
この嫌な状態が、半年に1回くらい訪れる。すると、どうなるか。ボクの中の怒りが激しく刺激される。頭の中は罵詈雑言で溢れかえる。気を抜くと汚い言葉が間欠泉のように沸きだし、相手を論破(嫌な言葉だ)するイメージが何度も繰り返される。
そうなると、ボクの機嫌も悪くなる。家族に対して厳しい態度、口調になる。分かっているけど、呼吸で味わうけど、なかなか思うに任せない。
このあたりは、ちょっと今度の講座で勉強してみたいところだ。ひとつ課題を解消すれば、また別の課題が表れる。人生は勉強の連続。ゴールはない。
怒りの根源がなんなのか。きっと幼少期の体験なのだけれど、それが今のところ思い当たらない。顕在化しないってことは、何かによって隠されているのだろう。見えなくさせられているのだろう。その蓋は、どこにあるのか。
開けることに恐怖がないと言えば噓になるが、課題をこなさないと先へは進めない、ぶいぶい言わせることはできないので、ぶいぶいノリノリの人生を歩めるように蓋を探したい。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!