100年先も子どもの瞳を輝かせて
空が狭い街に家族5人で暮らしている。子どもたちは、休日にそこから離れた自然の中にいる時が一番輝いて見える。
春。
おたまじゃくしを探しに、電車に乗って5駅先の公園へ出かける。アズマヒキガエルのおたまじゃくしがしっぽをくねらせて泳いでいる姿を見せることが出来たけれど、市立公園なので持ち帰ることはできない。
夏。
大好きな昆虫を探しに虫取り網を持ってあちこちに出かける。憧れの昆虫、ヤマトタマムシ・ベニルリボシカミキリ・ミヤマクワガタは何年経っても見つけることさえできていない。朝の4時に仕掛けた罠を見に行ってもそこにカブトムシやクワガタはいない。
秋。
鳴く虫を探しに、ビルで欠けた満月の中を歩く。コオロギ、スズムシ、カネタタキ。どんなに耳を澄ませても、キリギリスの声が聞こえない。お団子に添えるススキはデパートで買うようになった。
冬。
野鳥が大好きな息子のために野鳥観察に出かける。ジョウビタキのオレンジを探して双眼鏡を首に下げてあちこち旅をする。もう野生では見ることすら叶わなくなったシマフクロウ、タンチョウ、アホウドリにコアジサシ。絶滅危惧種の鳥を保護する活動に参加する。
30年前、私が子どものころは田んぼにカブトエビがいて、それを捕まえるためにヒルに血を吸われた。
60年前、私の母が子どものころは近所の川で泳ぎ、素手で鮎を捕まえた。
そんな話を聞かせると、子どもたちは遠い昔話のようにその物語に耳を傾ける。その瞳には、無くなってしまったものへの憧れが見てとれる。
子どもたちの好きなものを守りたい。
子どもたちは、自然の中にいる生き物の魅力をちゃんと知っている。そしてだんだんとその生き物が失われていることを知っている。その目で、好きなものが見つからない現実に向き合っている。
スマホをカバンにしまったら、足元の草花を見て欲しい。それから木々を見上げ、自然の音を聞いて欲しい。子どもの頃とどれだけ変わったか、そこに居たはずのものがどれだけ居なくなったか、少しの間感じて欲しい。
30年後も60年後も、自然の中に自然のまま生き物がいる世界であってほしい。セミを見るために5駅先に行く未来じゃなくて。ガラスケースの中だけに存在するカブトムシじゃなくて。動物園の檻の中にしかいないフクロウじゃなくて。
未来を持続させるのは他でもない、子ども達だ。
100年先の子ども達も、昆虫や鳥を輝く瞳で追いかけ続けられるよう祈っている。