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誰も食べなかった焼きそばが足りなくなる未来なんて、分かるはずがない
想像していた未来に、子どもの姿はなかった。
中学生の頃に行われた保育実習で確信した。私は子どもが苦手で、子どももまた私を苦手である、と。授業の一環で出かけた保育園で、私はひとりぼっちだった。
珍しいお姉さんらの来客に、子ども達がキャッキャとはしゃいでいる。同級生の女子たちは一目見るなり「かわいい!」と嬌声をあげて子ども達の中に飛び込んで行った。「待て待て〜」「つかまえた〜!」「いないないばぁ!」と楽しそうに輪を作っている。
かたや私は、そのきっかけをつかめず保育室の隅っこに正座した。ダンボールで手づくりしたおままごとセットには誰も近寄らない。子ども達は私が壁に見えてるんじゃないか、いや、むしろその存在が見えていないんじゃないかと錯覚するほどに器用に私を避けていた。
子どもというのはとても鋭くて、自分と遊んでくれそうな人を知っていて選んでいる。見せかけのおもちゃなんかには決して騙されない。だって今子ども達に囲まれているあの子なんて、おもちゃすら持ってない。身ひとつ。確か幼稚園の先生になりたがっていた。なれると思う。
保育士さんは忙しそうに動き回っていて、保育室でひとりぽつんと手づくりのフライパンを火にかけている私なんかに構う暇もなさそうだった。じゅーじゅー。恥ずかしさと心細さを火にかけて、ひたすら時が経つのを待った。保育室の隅っこで、ぴりぴりぴりと新聞紙をゆっくりとちぎっては焼いた。新聞紙焼きそばは、誰の手にも渡らず山盛りになった。
女子なら全員子どもが好きなんてのは幻想だと思う。突然叫ぶ子に驚き、知らない子が顔を覗きこんできたら困惑し、泣いている子を見てもどうしたらいいのか見当もつかなかった。
分からなかった。子どもってものが。
分からないから、怖かった。
もしも自分が将来結婚したとしても、子どもはいいや。と思っていた。自分が子どもを育てる姿をうまく思い描くことができなかった。
⌛︎それから20年ーー⌛︎
膝に2歳。右に10歳。左に7歳。
いま、私の周りを3人の子ども達が囲んでいる。
3人同時に喋りだす。
「ママえほんよんで!」
「ママ宿題の丸つけして!」
「ママテレビつけていい?」
全員に同時に答えたりする。
「テレビはまだよ。むかーしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。この問題、足し算間違ってるよ。おじいさんは山に芝刈りに、テレビつけないで?宿題してるから。おばあさんは川に洗濯に行きました。そうだ、洗濯物干すの忘れてた。うん、合ってる。100点。わかったわかった、つづき読むからね」
こんな具合。
何がどうなってこうなったのか。謎である。
20年前、あの保育室で「分からないから怖い」と思っていた存在を、今は3人も抱いている。自分の心境が180度変化していることがむしろ怖い。
子どもは嬉しくて叫ぶことが分かった。
興味があるから顔を覗き込むことが分かった。
泣いてたら抱きしめたらいいことが分かった。
20年前はじゅーじゅー言いながらフライパンを振っても誰も近寄ってこなかったはずなのに、今は「危ないから離れて」と注意してもフライパンを持つ私の足元に誰かしらがへばりついてくる。火傷しそうで怖い。焼きそばはいくら作っても足りなくなる。
想像していなかった未来に今、立っている。
分からなくて怖いと思っていた存在を愛しいに変えて。
分からないことは怖い。
未来は分からないから怖いと思っていた。
だけど分からないは愛しいに変わることが分かったから、この先どんな未来がやってきても大丈夫って思えるようになったんだ。
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