伊集院静先生に叩き折られた鼻の話

10年前、夫が買ってくる週刊文春を楽しみに待っていた。


子どもを産んだばかりで外部との接点がまるでなかった頃。
言葉もしゃべれない、何で泣いてるかもわからない赤子を抱えて、夫が帰ってくるのを待つだけの毎日。夫が帰ってきても話題は赤子のことだけ。当たり前だけど、自分のアイデンティティが母親以外になくなっていくのを感じていた。

週に1度、夫が仕事の関係で持ち帰ってくる週刊文春が、その日々の中での小さな花のような存在だった。


私が楽しみにしていたのは芸能人の不倫とかそういうのではない。
伊集院静先生の『悩むが花』のコーナーだ。

『悩むが花』では、読者からの質問や相談に伊集院静先生が答えてくれるのがウリなのだが、それがとんでもなく面白かったのだ。

「今度こんなツマラナイ質問もってきたら、この人生相談、やめてやるからな!」

『悩むが花』は後に書籍化され、こんな言葉を持って全国の書店に並んだ。



こんなツマラナイ相談、と伊集院先生がおっしゃる通り、「そんな質問伊集院先生にしてもいいの?」というようなとんでもない珍質問もあった。
≪扇風機のスイッチを足で押すことについてどう思いますか?≫
みたいな話もあった。

もちろん中には伊集院先生にしか打ち明けられないような重い人生相談もあり、そのどんな質問にも伊集院先生は丁寧に答えていた。

時折、喝をいれることもあったし、そんなやつは人間のクズだね、と吐き捨てることもあった。もちろん相談者さんを絶賛するときもあった。


週に1度、私は『悩むが花』を通して、人間の社会を見ていた。
赤子と私と夫だけの世界から、この世に生きるたくさんの人とのつながりを垣間見ていたのだ。


いつしか私は「自分も伊集院先生に何かコトバをもらいたい」と思うようになった。

確か、当時から伊集院先生は「こんなツマラナイ相談」という言葉を時々出していたように思う。

それで私は大変なおごりを持って伊集院先生に質問をした。

伊集院先生、いつもツマラナイ質問ばかりで大変でしょうから、私がもっと人として素晴らしい人生相談をいたしましょう。

……そんな阿保な気持ちがあったことを、今ここで白状するとともに懺悔します。
この続きを書かずに今すぐ10年前に戻ってDeleteキーを連打したい。

ここから先は全て、私の恥をありのままに伝える。そうしなければ伝えられないある教訓のために。


内容としては自分の子育て論のようなものだった。
詳しくは言うまい。
まだ0歳の子の親になったばかりで、未来は明るく、親の努力次第でどうにでもなると思っていた。理想ばかりを追い求めていた。

「ワタクシがこんな理想を持って子育てしたら、子はスクスク育ちますよね?」

まぁ、そんな内容だった。



伊集院先生からの回答を、ドキドキしながら待った。今週こそ、今週こそ。夫に内緒で書いた投書。それが掲載されるのを心待ちにしていた。


そしてある週のこと。
ついに私の質問と、伊集院先生からの回答が紙面に載っていた。

「今時あなたのような考えのお母さんがいるのは珍しいね。素晴らしいと思うよ。その考えをずっと忘れないようにね。」

0歳児の親にとってこんなに嬉しいことはない。
正解の分からない子育ての中で、著名人が自分の考えを肯定してくれるのだ。天にも昇る思いだった。自分丸ごと肯定されている気分だった。

私の鼻は伸びに伸びた。
ピエロが風船でするみたいに、私の鼻でプードルくらい作れるんじゃないかってくらいに伸びた。

私まるごと全部褒められたような、そんな気分だった。


調子に乗った私はもう一度投書した。

お次は「ちょっと付き合いづらく、距離感が難しい友だちについて」だった。


ちょうどその頃、そんな人がいてどうしたものかと悩んでいたのだ。


こちらもきっと、伊集院先生は「そりゃその友達が悪いネ。」と言って素晴らしい解決策を見出してくれるだろう、そう思って書いた。


そして何週間かのち、その投書への返事が紙面上に掲載された。

アンタの文章を読んでるとね、アンタがその友達を見下してるのが伝わってくるね。人として最低なのはアンタの方。そんな奴とは付き合わない方がいいと、友達に言ってあげたいネ。


……



……愕然

週刊文春を持つ手がブルブル震えた。
そして顔が真っ赤になった。

1回目に読んだ時はカチンときた。
2回目に読んだ時は涙が出そうになった。
3回目に読んだ時は落ち込んだ。
4回目。気がついた。



まるで図星だった。

私は知らず知らずのうちに、人を見下していたのだ…!それが文章に滲み出ていたのだ。


恥ずかしい。恥ずかしすぎる…!!
私はなんて最低な人間なんだ。
友達とかほざいてるけど、友達じゃなかった。
私の方が彼女にふさわしくなかった。



情けないにもほどがある。
私こそが【ツマラナイ話】の最たるものを伊集院先生に聞かせてしまったではないか……!!!


伊集院先生に見抜かれて、一度は伸び切った鼻は根元からバキボキに折られた。私の鼻が低いのはたぶんその頃から。


今思うと、最初にした質問も違った意味があったのかもしれない、と思う。

0歳児である親の私にかけてくれたコトバは「そんな上手くいくわけない。でもそれは子どもが大きくなったら自然と分かることサ」と分かっていながらも言わなかったのかもしれない。

0歳児の親というギリギリを生きている母親を慮って、ねぎらってくれたのかもしれない。



この経験を経て、私は2つのことを学んだ。

・「口は災いの元」とは言うけれど、文章だって同じこと。一度表に出したものは消せない

・返ってきたもの丸ごと受け止めちゃいけないこと。


文章を書いていると色んなことがある。

ある一部分を褒められて、自分丸ごと褒められた気がした。

ある一部分をたしなめられて、自分丸ごと否定された気がした。


どっちも自分から出た言葉で、どっちも嘘じゃない。

でも返ってきた言葉をそのまんま自分への言葉だと受け取ると、調子に乗って自滅するか、死にたくなるかの二択になる。


どちらも自分の一部分に過ぎないことを、常に自覚しなくてはならない。


こんな恥ずかしい私の過去は消え失せて欲しいのだけど、残念ながら『悩むが花』は10年以上連載され、書籍化され続けた。(書籍のタイトルは隣の芝生、などへ変わっている)


先日お亡くなりになった伊集院静先生の、過去の書籍が全て平積みされている書店の特設コーナー。

図書館の一角。


そこには私の恥ずかしい過去も一緒に並んでいる。

正確に言えば私の書籍デビューはこれなのかもしれない。



いいなと思ったら応援しよう!

本田すのう │   書いて読む主婦noter
この記事がよければサポートをお願いします。iPhone8で執筆しているので、いただいたチップは「パソコンを購入するため貯金」にさせていただきます。