大好きな作家さんが男か女かも知らない
本を読むのが好きだ。
中でも有川浩さんは私のバイブルと言ってもいいほどに推しの作家さん。
あの方の書くものは、どんな題材であれ優しくて愛に溢れている。中学生か、早ければ小学生でも読めるような文体でありながら大人の私たちもわくわくさせてくれる。有川浩さんが出版した本は全部読んだ。
だけど私は有川浩さんが男性が女性かも知らない。
有川浩さんの書く作品に出てくる「堂上教官」のことは背丈やその姿、制服や性格まで知っているのに、それを生み出した母なる作者さんのことは何も知らない。
有川さんはそれを嫌がるだろうか。
他にも「夜は短し恋せよ乙女」が好きだけど森見登美彦さんがどんな人か、どんな顔か知らない。彦がつくから男性だろうなーというくらい。
でも知人の漫画家さんは男性名のペンネームで本を出してるけど実は女性だしなぁ。
作品が好きだから、作家さんのことも知りたい!サインして欲しい!という人もいると思う。
だけど私はそれと全く逆で、作家さんがどんな人であれその作品が好きかどうかで判断してしまう。
だからもしかしたら、私が好きな作品の作者がとんでもない極悪人で何か罪を犯したりしていても、気が付かずに「この作品が好き」とか言っちゃうと思う。
そしたら不謹慎だ!とか言われちゃうのかな。でも生み出された作品の中のキラキラは変わらないと思うんだけどどうかな。
私はこれからも有川浩さんの出す作品はどんなタイトルでもどんな表紙でもノールックで買いに走る。なんならタイトルなしでも買う。有川浩さんが男だろうが女だろうがどっちでもなかろうが。そしてこれからも、有川浩さんがどんな人なのかは知らないままでいると思う。
そして私はnoteでも、同じ愛し方をしている。
クリエイターさんが男だろうが女だろうが極悪人だろうがリアルでどんな人だろうが、どうでもよくて、どんな記事か、どんな文章を書く人か、しか興味がないのです。
そんな読み方を、人は嫌がるだろうか。