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砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない

若林正恭さんの「ご本、だしときますね?」で紹介されていて、読んで見たらとても面白かったので桜庭一樹さんの書かれた「砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない」の感想を書いてみます。

本の裏側にある辻原登さんの書かれた解説の引用です。

その日、兄とわたしは、必死に山を登っていた。
見つけたくない「あるもの」をみつけてしまうために。
あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、
一刻も早く社会に出て、お金という”実弾”を
手にするべく、自衛官を目指していた。
そんななぎさに、都会からの転校生、海の藻屑は何かと絡んでくる。
嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは徐々に親しくなっていく。
だが、藻屑は日夜、父からの暴力にさら背れており、ある日ーー
直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。
解説・辻原登

以下 感想

実弾=社会、自らの才能、境遇と戦うこと。
砂糖菓子の弾丸=それから逃れること と解釈しています。


私は高校生の頃は、毎日、実弾を打っていた。

毎日、朝早く起きて、部活の朝練をして、そのまま授業を受けて、
授業が終わったら、部活動をして、
そして毎日ではなかったが、そのまま塾に行く。

こんな日々の繰り返しであった私は、実弾を打ち続けていた。
そういえるだろう。

私は完全に、部活と勉強という目的を与えられていて、それに打ち込んでいて、打ち込んでいる自分を誇らしく思っていた。楽ではなかったけれども実弾で満たされた私の生活はとても満たされていた。そこに疑いはなかったし、迷わず頑張ることができた。

実弾を打つことのできる私は恵まれていた。

そして、その時期の砂糖菓子の弾丸はとにかく甘かった。

部活終わりに友達とふざけあうことや、くだらない話をしながら帰ること、帰りに飲むジュース、また塾から一人で帰る時に聞く日本語ラップ

これらはとにかく甘くて、明日も実弾を打つ活力になった。


大学生の今、実弾を打てていない。

今は、目的を自ら決めなければならない。
他人が目的を与えてくれる時期は終わった。

目的を考えるのが苦しくて、確信を持てなくて、いつも小説や、映画、遊ぶことに逃げているような気がしている。
自分の視野を広げるためとか思って。

もちろんそれも必要なことだ。砂糖菓子の弾丸は100%悪いものではない。

でもモラトリアムももう終わりが見えている。

実弾を早く打たないといけないと感じた。


あと、高校生のころ普通に実弾を打てていた私はかなり恵まれていた。
海野藻屑や山田なぎさのように、特殊な環境(この言い方が正しいのかはわからないが)にあって、実弾を打つことが難しい場合もある。

人が自分とは違う悪魔を抱えていることを忘れてはいけない。
だからこそ人の意見だけではなく、自分で考えて、実弾を打たないといけない。


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