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日常を横切る怪異―旭堂南湖著『滋賀怪談 近江奇譚』を読んで

私が講談を教わっている旭堂南湖先生が、今年3月に『滋賀怪談   近江奇譚』(竹書房)を出版されました。読了しましたので、感想(と勝手な紹介文)を書きました。気合いを入れて書いた結果、ガチガチのレビュー文体になってしまいましたが(汗)、すでにお読みになった方にも、まだお読みでない方にも、魅力が伝われば嬉しいです。(5月8日加筆修正)


はじめに

『滋賀怪談   近江奇談』(竹書房、2023年3月)は、滋賀県出身の講談師・旭堂南湖先生の書き下ろし実話怪談集です。(コンセプトや目次は、竹書房による下記紹介記事を参照ください)

収録話数は36話(「講談」とする2話を含む)。滋賀県の各地域に残る歴史や伝承・習俗に絡んだ怪異譚、「信楽焼の狸」や「飛び出し坊や」「ずにんこ」「日野菜」など滋賀にゆかりのある物事にまつわる奇談、また、滋賀在住の人々の身に起こる不可思議な出来事など、バラエティに富んだ怪談がふんだんに収載されています。

サブタイトルに「近江奇譚」とあるように、オカルトやホラーというよりは、滋賀県下に住まう人々の日常を横切る「奇妙で不可解な出来事」が、細やかに掬い取られています。ひとつひとつの出来事は些細であり一回的・偶発的であるようにみえるのですが、印象的なのは、それらの出来事が「滋賀県下のどこそこ」という土地の記憶と紐付けられることによって、地理や風土・歴史に絡んだ因縁のある現象として立体感を持ち始めるということ。これこそが、“ご当地怪談”の醍醐味だと思います。土地勘のある方であれば、「あの場所でそんなことが」「あの場所なら確かにおかしなことが起こりそうだ」などと想像しながら、よりいっそう物語を楽しめるのではないでしょうか。

以下、あくまで個人的な視点からですが、印象に残った話を紹介しつつ、本書の魅力を紐解いてみたいと思います。

現代に浸潤する過去

本書の中でまず目を引いたのは、地域伝承や歴史にまつわる怪異譚でした。河童が棲むという淵で遊んだ子ども達に降りかかる不幸を描いた「霊仙山の河童の皿」、楔が打ち込まれた古い首無し地蔵を掘り起こしてしまう「床下の明神石」、奥州に落ち延びる義経一行が立ち寄ったとされる場所で不可解な身体の異変に見舞われる「義経の隠れ岩」、禁忌を破った者に処刑された武将達の遺恨が降りかかる「持って行かれたのは?」、賤ヶ岳の合戦で討死した老侍の首が祟る「茶人の釜」など、現代の足元にもひたひたと浸潤する過去の怨念が空恐ろしく、過去の記憶を伝え続ける媒体として“土地”があることを、否応なく実感させられます。

中でも印象深かったのは、「片輪車と親子」です。甲賀市に伝わる「片輪車」の伝承(『諸国里人談』所載)が、平成の世に起こった怪奇現象とゆるやかに紐付き、不穏な後味が残ります。

「片輪車」の伝承とは、次のような話です。江戸時代の初め頃、車輪が片方しかない牛車の怪が、夜な夜な甲賀のとある村を徘徊するようになった。恐れて夜中に外に出る者はいなくなったが、ある女房が好奇心から外を見てみると、牛車には美女が乗っていた。美女は女房に、「自分の子を見てみなさい」という。慌てて見ると、寝ていたはずの子どもが姿を消している。後悔した女房が「罪は私にありますので子どもを返してください」と扉に貼り紙をすると、翌日子どもは無事に返ってきた。

一方、平成の世に現れるのは、牛車ではなく赤い提灯を下げた石焼き芋の車。真夜中、玄関の磨りガラス越しに見える赤い光と車体、やがて聞こえてくる金属を擦るような声。子どもは攫われなかったが、寝床の中で、手に原因不明の火傷を負ったといいます。「片輪車」の怪の仕業か否か、結末は読者の想像に委ねられます。

ふいに訪れる日常の軋み

次に挙げたいのは、怖いというよりも奇妙、奇妙であるがゆえに、時としてユーモラスにさえ感じられる逸話の数々です。日常生活の中には、特に実害はないものの、首をひねりたくなるような、説明のつかない出来事がしばしば起こりますが、そういった不可思議な出来事が、淡泊かつ軽妙な筆致で綴られています。五指を足のようにして歩く“手首”の目撃談を集めた「手首の怪談」、なぜか行く先々でマヨネーズに付きまとわれる「マヨネーズ奇譚」、自分たちと瓜二つな夫婦に出会って千円札をもらう「信楽の狸」、仏壇の羊羹をくすねた猫が喋る「湖南の猫」など、枚挙に暇がありません。

私が特に面白いと感じたのは「マラソンランナー」。びわ湖マラソンのコースとなる道路近くに住む女性が、ある夜突然、大勢のランナー達に担がれて寝室から運び出され、マラソンコースの道路に寝かされる。動かない身体の上を、ランナーたちが次々に飛び越えて走ってゆく…という話です。謎のマラソンランナー達の描写や会話がリアルで不思議と怖さは薄く、夢と現実との間隙に入り込んだような妙味がありました。

音と匂いと触感のリアリティ

続いて、本書の最大の魅力だと感じる部分について述べたいと思います。それは、叙事的・実録的な文体の中に散りばめられる、細やかな五感の描写です。中でも、聴覚・嗅覚・触覚の描写は、読者の想像力を否応なく刺激し、怖さや気味悪さを増幅させる大きな要因になっていると感じます。目で読んでいるにもかかわらず、脳内に音が響き、手触りや温度が感じられ、鼻腔が刺激されるという読書体験は、意外と得難いものではないでしょうか。語りのプロならではの表現世界に、ぐいぐい引き込まれます。

聴覚描写の妙という点で特記すべきは、土葬の習俗にまつわる「耳によみがえる音」と、小学校を舞台にした「うぐいすの追憶」でしょう。「耳によみがえる音」では、土葬の座棺に遺体を入れる際に関節を折る音が繰り返し描写されます。関節を折る音など聞いたことがないにもかかわらず、読み進めるうちに骨を折る軋んだ音が脳内にこだまして、思わず耳を塞ぎたくなるほどでした。また、「うぐいすの追憶」にも、“音”の印象的な場面があります。校舎の階段を駆け降りる主人公の耳に、亡くなった女友達の奏でるうぐいすの鳴き真似の幻聴が聞こえてくる…というシーン。読み手の脳内では、主人公の足音とうぐいすの声真似とが共鳴し、やがて両者が渾然一体となって、その残響がいつまでも耳の奥に残ります。悲しくも美しい怪談です。

触感と嗅覚ということでいえば、「ネチャネチャ」が面白い作品でした。出張先のホテルで、糸を引く納豆が手に広がり髪に絡みつくという幻覚に襲われる奇談ですが、描写のリアルさに、読みながら皆さんもきっと、思わず自分の髪の毛を確認してしまうはずです。徹底的な嗅覚描写が際立つ「祖父のにおい」も、同様の理由で印象に残りました。

むすびにかえて

最後になりますが、本書には、「消えたこいのぼり」「爺ちゃんとコスモス」など、家族愛を主題とした心和む怪談も多数収載されていることを申し添えておきたいと思います。「あとがきの前に」として収録する著者自身の体験談も、そのひとつです。怪談が、一律に「恐怖」のみを喚起するとは限りません。本書に収録される怪談・奇譚の数々からは、恐怖だけではなく、悲しみ・喜び・愛おしさ・笑い・驚き・好奇心…など、様々な感情が呼び起こされます。その多彩さもまた、本書の魅力のひとつであると思います。

なお、5月12日(金)・6月9日(金)には、「『南湖の会』~『滋賀怪談 近江奇譚』出版記念講談会~」が大阪で開催されます(下記リンク参照)。本書に収録される実話怪談を、著者の肉声の“語り”で聴くことができる貴重な会です。是非、目と耳の両方で『滋賀怪談』の世界を、そして著者の講談の世界を堪能していただきたいと思います。


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