戦争経験者と接している責任として。
1945年8月6日8時15分。
広島市で生まれ育った私は、小学校から耳が擦り切れるほど聞き、体に染み付いている日。
私だけでなく広島出身の人は皆そうだと思う。夏休みにはクラスで黙祷し、授業の一貫として平和学習がある。実際に被爆者を招き講演会も開かれていた。校外学習で平和記念館や原爆ドームに行くことも度々あった。
大学から30歳まで関西に住んでいた私は、この日を迎えると、「今日は原爆の日だなー」と肩ときも忘れずに思いだしていた。
そんな中、とある縁で『原爆の悲劇に国境はない』