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戦争経験者と接している責任として。

1945年8月6日8時15分。
広島市で生まれ育った私は、小学校から耳が擦り切れるほど聞き、体に染み付いている日。
私だけでなく広島出身の人は皆そうだと思う。夏休みにはクラスで黙祷し、授業の一貫として平和学習がある。実際に被爆者を招き講演会も開かれていた。校外学習で平和記念館や原爆ドームに行くことも度々あった。
大学から30歳まで関西に住んでいた私は、この日を迎えると、「今日は原爆の日だなー」と、肩ときも忘れずに思いだしていた。

そんな中、とある縁で『原爆の悲劇に国境はない』という本を手にとることに。
装丁に写っているオバマ大統領と森重昭さんが抱擁している写真は、記憶に新しい。

『原爆の悲劇に国境はない』
原爆被爆者で、長年わたる独自調査により日本で被爆死した米兵捕虜の存在を知り、その遺族を探し当てた方である。1000人を超える聞き取り調査や、何十年にもわたる米兵遺族との交流に、妻との二人三脚の半生が語られている。

とにかく読んでいくと、森さんの執念に舌を巻く。
それは、「米兵を敵じゃなくて、人間と思った。背景にいる母親や父親、妻、そして子供がいることを想像した。全ての命は等しく尊い。」森さんの、その言葉に尽きるのだと思う。命に大きいも小さいもない、重いも軽いもない。

本書に出てくるアトキンソンさん遺族へ粘り強く手紙を送り続け、ついに広島に招くこができ追悼法要を実現させる。孫、そしてひ孫まで巻き込み苦しみ続けていることへの森さんの想像力と執念、そして尊厳を守ったことが身を結んだのだと思う。


そんな彼を支える妻。
周りには被爆で家族を失った人がたくさんいる中で、調査する夫を支える事が、どれほど大変だったか。後ろ指を刺されるだけでは済まない、想像を絶する非難、もしくは暴力や非人道的な、様々な抑圧もあったのではないか。
この葛藤や逞しさについても詳しく描かれている。

他にも、調査をしていく中で聞こえてくる被爆者の肉声に、胸が潰れる。

「手や足がもがれても、手も足もなくていい、ダルマのようになっても帰ってほしかった。生きてほしかった。死んでほしくなかった」

学校の先生が運動神経の良い生徒に陸軍パイロットに「応募しなさい」と言い、死んだと知って、仏壇の前の畳を何十回もたたき、たたき、たたいて、「悪かった。私が言わなかったら君は死ぬことはなかった」


今も、ウクライナやパレスチナ問題により、幼い子どもを含めた多くの命が失われ続けている。核使用も高っまており、戦後80年経った現在の核は、遥かに破壊力を増しているだろう。
先日、日本被団協へノーベル平和賞が決まったのは、きっと世界の政治指導者へのメッセージなのかなと思う。

私たちは、戦争や原爆について繰り返し繰り返し、耳に傾けなくてはならない。それは、戦争を経験している人たちと接している世代としての責任だと思う。と同時に、森さんの「米兵を敵じゃなくて、人間と思った。背景にいる母親や父親、妻、そして子供がいることを想像した。全ての命は等しく尊い」この言葉を全ての人類はいま、胸に刻むべきだと思う。



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