続・偏差値の罠、西洋教育の罠【小林正観さんの教え】
以前、長男が中学、高校と
受験の度に立ちはだかった
内申点・偏差値
の罠について、私なりの考えを述べました。
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今回は、似た視点で
唯物論者の故・小林正観さんが
偏差値や学校教育について話してある
YouTubeを聞いたので
それについて私なりに解説したいと思います。
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明治以降の学校教育(西洋教育)
小・中・高・大・大学院・社会・家庭
あらゆるところで
競うこと
比べること
争うこと
戦うこと
抜きん出ること
を叩き込まれて来ました。
同じ学年の中で、どこら辺にいるか、
偏差値というもので
50± 50% 、50を平均として
45~55までが65%が占める
40~60までが85%が含む【2(Σ)シグマ】
35~65までが95%を含む【3(Σ)シグマ】
30~70までが99.999%を含む【4(Σ)シグマ】
(70は東大レベル)
という具合いに同じ年代で常に自分がどこら辺にいるのかを示されて、競うこと、比べること、争うこと、戦うこと、抜きん出ることを叩き込まれてきた。
社会に出るとグラフで比べられて売上目標とかのノルマを課される。
私たちは小さい時から知らず知らずのうちにそういう教育をずっと叩き込まれてきている。
総合点で競わされ、オールラウンド出来るように強要されて、出来ないところを探しだして伸ばさなくてはいけない教育をされてきた。
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北海道には北海道の良さがあるように、
沖縄には沖縄の良さがあるように、
どちらが優れているとかの優劣は本来はない。
短距離が早い人はそこが良さであり、
絵が上手な人はそこが良さであり、
楽器が上手な人はそこが良さであり、
違うジャンルで、誰が良いとは言えないものである。
2500年前の釈迦の考えにあるように
『専門的に、他の人より
優れたものを持っていたら仏』
という言葉の通りであり、
人間の本質とは、
得意なものが一つでもあれば仏
であり
一芸に秀でたものがあれば仏にもなれる。
のである。
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ということを話されていました。
不登校が珍しくない時代になりました。
クラスに何人か居たりします。
入学して一度も見たことない子がいる。
私たち昭和世代にはなかった状況です。
私も長男が不登校になった当初は、
叩いてでも蹴飛ばしてでも
学校に連れていくのが親の役割だと思っていました。
実際に法律では
子どもには学校に行く義務はありません。
でも、親や、子を扶養する人には
子どもに教育を受けさせる義務があるそうです。
うまくできているな~と、感心すらします。
不登校の子がいる友人から聞きましたが、
不登校を容認している親に対して、
学校の先生からやんわりですが、親の義務を果たすように言われたりするそうです。
本当によく出来ています。
政治は子どもの権利を守る風にしながら、
結局一番の子どもを守るはずの親が無理やり学校に行かせるように仕向ける…
そんな構図にしか私には思えません。
子どもたちの権利を奪うのは、
子どもたちが唯一の救いを求めるはずの親であり、最終的に心が壊れ、その後引きこもりになったり、犯罪や自殺に追い込まれる。
我が子をそこまで追い詰めるのは最終的なトドメを刺すのは実際は親だったりします…
そうなる未来が予想できないような低レベルの人たちが政治をしているはずがありません。
意図を持って行われていることだと思う方が私はしっくりきます。
2500年前の釈迦がこの言葉を残しているという事が、意図を持って行われている証拠でもあるように感じます。
子どもたちを守るのは法律でも政治でも政治家でも学校でも学校の先生でもありません。
こういった社会システムの中で生きている人は、上からの指示に従うしかないんです。
そういう価値観を刷り込まれている。
それが明治以降の西洋教育です。
自分の家族や立場を守るために、疑問が湧いてもそれを疑う感性すら奪われているのが現実だと思います。
苦しんでいる子どもを救えるのは
親や身近な大人しか居ないんです。
気が付いた人から始めましょう。
世間の目や常識にとらわれず、
我が子の未来や命を守れるのは自分しかいないと思い、行動することを…
小林正観さんは、ずっと前から
大事なお話しをたくさんしてくださっていたんだな。と改めて思いました。
もう私の子どもたちは中学生以上で
無理やり連れて行けるような歳ではなくなりました。
社会的にどういう扱いになるか分かって休んでいる部分もあると思います。
でも一時(いっとき)のことです。
中学行かなくてもたかが3年。
高校行かなくてもたかが3年。
子どもたちというのは
ただお母さんと一緒にいたい。
と思ってくれているだけかもしれません。
小学生の子どもなんかはほぼ全員そうではないかと思います。
大人の引きこもりとは親に対しての感情が違います。大人になって引きこもる時は親に対しては嫌悪感や全てに対して憎悪になっているように思います。
子どもの時期に親に対しての
絶対の信頼感を与えられるか
無理やり学校に連れていき
信頼関係を断絶するのか
どちらかの選択肢を与えられているんだと
私は今、感じています。
私は、学校というところがこれだけの闇があるのがわかって、世間の目、社会の目はすっかり気にならなくなりました。
他人と比べることの無意味さ。
まんべんなく出来るようになることの苦痛。
不得意を無理矢理克服させられる辛さ。
何でもいい。
自慢できるようなすごいことでなくてもいい。
その子の小さな良いところをみつめて誉めてあげられる親でありたいな。と、改めて思いました。
働いていたらそうは思えなかったと思います。
何か手放さないと気づけない事もあるのかもしれません。
ひとつひとつ、私たちが付けてきてしまった。
間違った価値観を外して行きませんか?
わたしは
並木良和さんの手放しワークで
少しずつ少しずつ軽くなることができました。
子どもの幸せを願う親にしかできないことを、間違って身に付けてきた私たちは、私たち大人こそ学ぶ必要がある。
と思っています。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました(*^^*)