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三原郷の鎮守の社「中三原の諏訪神社」別名「もののけ神社(我が子命名)」
二つ前からの一連の投稿の続きになります。
こちらは西暦1222年に鎌倉時代の遠い先祖が建立した諏訪神社。時代が下った戦国時代には戦乱でかなり傷んだために、里見氏が修繕をしたそうです。
神社は山道をテクテク10分ほど登った奥にあり、この地域に馴染みがないと、じわりと滲み出る独特の雰囲気に恐れを抱くかもしれません。まだ幼いときに連れていったうちの娘曰く、この神社は「もののけ姫」の映画に出てきそうな「もののけ神社」だと言いやがりました、
我が子ながら神をも恐れぬド直球な感想です。
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そういえば、こちらの神社の建立当時は、すでに仏教が浸透し基本的に肉食NGだったようですが、狩りの神様「諏訪神社」をこうして大々的に奉り、お供物として捧げる大義をもって仏教のしきたりを公明正大に回避していたのではないでしょうか。そのような話は他でも何度か聞いた覚えがあります。ようは魚介類をはじめ、イノシシやシカ、ノウサギやタヌキにキツネ、アナグマ、そのほか様々な野鳥などを狩っては、その場で形式的に地元の諏訪神社の神様に獲物をお供物として捧げ、しばしの間を置き今度は獲物をお下がりとして受け取り、そこからは煮るなり焼くなりパーリィタイム。それはそれはみんなでおいしく楽しく「お肉」をいただいたのではなかろうかと‥、なんだかそんな情景がたった今みてきたように目に浮かびました。
折しもこの時代は、各地でも諏訪神社が多く建立された時期なのですね、まぁ~みんな神様のことももちろん好きなんだろうけど、やっぱりニクが好きなんだよなぁ~わかるわかる。表面上は半ば国策でもあった仏教の教えに従いつつも、ニク食わなきゃ気力体力出ないぞってことでしょう。特に荒くれた時代なら尚更です、綺麗事だけじゃ生きていけませんよ。こちらの神社建立から800年ちょい先の子孫の一人の私めも実は肉派です、故に遠い先祖たちの気持ちがよーくわかります。
オレは唐揚げ牛丼大好きだー!
豚のショウガ焼きも大好物であーる( ゚д゚ )クワッ!!
きっと当時のご先祖も曹洞宗(禅宗)だからと精進料理などではなく「肉」が好きだったに違いありません。だからこそ数ある神様の中からあえて「諏訪神社」を選んで建立したのでしょう!(きっぱり断言)
(※諏訪神社は狩りのご利益以外にも農耕生産を見守る神様です念のため)
あー、与太話はそれぐらいで話を戻しましょう。
こちらの社殿は実は中々巨大なもの、比較のため写真右側に人間のサイズを入れてみましたのでご確認ください。昨今稀にみるほどの高床式です!
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正面からみると正方形で、特にこうして写真にすると、こじんまりとして見えますが、実際に目の前にするとこちらのお社は昨今の神社建築には見ない「威風堂々」さがあります。そもそも形状自体が近世や近代のデザインではなく、やはり中世、800年前のデザインなのでしょうね、明らかに毛色が異なります。うまい表現が見つからないのですが、禍々しさすら漂う威圧感と存在感‥。徒ならぬ迫力があるのです。
実は私自身が、地元氏神様の神社世話人をしていることもあり(市川市の上妙典八幡神社)、そのせいあってか様々な神社に興味があり普段から方々にお詣りさせていただいておりますが、今日までこちらの三原郷の鎮守様、南房総市和田町の「中三原 諏訪神社」のような独特の存在感をまとうお社は、東京や千葉県内では他に拝見したことがありません。
思うにバーサーカーでバーバリアンな鎌倉~室町時代の人々の、その粗削りな人間力のようなものが時代とともに分厚く塗り重ねられて濃縮されて、社殿の柱一本一本の芯にまでじっくりと染み込むことで、この独特の気迫を醸し出しているのではなかろうかと‥。
社殿の形状に圧倒されるだけではなく、社殿自身が発する目にみえないもの、さらにこの「場」全体が発する何か途方もないものが、少なくとも令和の時代では間違いなく異質であり、人によってはそれを恐怖や畏怖と感じて、うかうかすると呑みこまれてしまうのではないかと思います。
そうそう、冒頭で我が娘がこちらの神社をバチあたりにも「もののけ神社」と言いやがったと書きましたが、それだけじゃ今ひとつ伝わりにくいと思いますのでもう少し説明します。まずは以下の写真をご覧ください、こちらは神社拝殿前から参道を見降ろしたところです。この通り、こちらの神社は鬱蒼とした森の奥にあるのです。
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少し離れたところから社殿を見るとこんな感じです。大きな社殿が、さらにもっと大きな木々に隠されるように埋もれているのです。
ちょっとスケール感がバグります。
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さらにもっと離れて社殿を臨むとこんな感じ‥。
どうです、とってもムードあるでしょう!(どんなムードだ?)
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天気のよいお昼でもこんな感じです。これで日が陰ったらどこからかおどろおどろしさが湧いてきて、そこはかとなく不安や恐怖を感じる空気感になるのです。恐怖といっても悪党が出没するなどといった俗世的な不穏さではなく、私流にいうと「あっち側」の‥、幽霊、いやいやこれは妖怪でしょうね、魑魅魍魎が跋扈する感じが近いかな。まぁ神社とはその昔、黄昏時より朝日が昇るまでは基本的に禁忌の場所だったりしましたしね、そんな日本人の深層心理に刻み込まれた原風景的な畏怖の念を、21世紀の現代でもこうしてリアルに気づかせてくれる神社なのです。
まぁなにより、こちらの神社はこのように山奥に隠れるように佇むお社で、人智を超えた超思考的存在「神」の底知れぬ「気」を来訪者たちすべてに否応なしに感じさせてくれる稀有な神社のひとつなのではないでしょうか。ここは荒々しさの中にも神々しさと禍々しい何かを体現できる、そんな貴重な「場」なのです。
でもそんな秘密めいた神社ですが、こちらの神社に少なからずご縁ある私が、今こうして世の人々に知ってほしいとnoteに公開することは、たぶんこちら中三原の諏訪神社の神様に無意識ながらも後押しされてのことなのでしょう、ようは神様のご意思なのだろうと考えています。
このnoteで興味をもっていただいた方でこちらの近くに伺う際は、ぜひご参拝をお薦めします。神道の考え方では(こちらの神社に)興味が湧いたということは中三原の諏訪神社の神様から見入られている証、神に「招かれている」のです。そして神社は参拝者が多ければ多いほど、崇め奉る人々が多ければ多いほどに、その力を増すとも云われます。それ即ち参拝者や氏子の皆さんの息災、関わる皆さん全ての繁栄へ、地域の安定へと繋がるのです。
最後の写真は神社の山の麓にある鳥居。ここから急な坂を登り峰に沿って山の奥に進みます。とはいえ道のほとんどはコンクリート舗装されているので歩きやすいですよ。
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以上になります。
この日は2つ前からの投稿の通り、先祖の摩崖五輪塔、そして三原城の城跡に続き、こちらの中三原の諏訪神社にもお詣り、そしてこののち鴨川のお墓2箇所と大多喜のお墓2箇所の墓参りをして帰宅しました。
諏訪神社【和田町中三原】MAP
千葉県南房総市和田町中三原585-2
●この日最初に訪れた先祖の摩崖五輪塔はこちら ↓