一人で黙々/誰かと一緒に。どっちが心地よい?
こんにちは!さむ活P山田です。
福井県あわら市のお寺、天王山安楽寺のオリジナル企画「さむ活」。今年で開催2年目です。さむ活とは、お坊さんの修行のひとつ「作務」をもとに作り出した、お寺でゆっくり楽しんでいただける体験プログラム。今年はちょっと考え方や運営方法を変えて実施しています。
▼くわしくはこちら
このnoteでは毎月開催するさむ活のレポートと合わせて、安楽寺の住職せいはんさん、坊守あきさんの思いやプロデューサーである山田の気付きなどをまとめていきます。まだまだ発展途上の企画ですが、今後の変化も含めてお楽しみいただけたらうれしいです。
4月23日(日)本格オープン!
今年のさむ活は毎月開催しています。今のところは9時~17時までの日中オープンですが、今後は夜開催も模索してみるかも。曜日も土日だけでなく、平日開催もやってみようと思っています。
4月23日(日)。9時のオープンに向けて準備をするさむ活メンバーたち。
お越しくださった皆さんに迷わず困らずさむ活に参加してもらえるように、でもうるさすぎないように、ほどよいバランスのところを探っているところです。悩ましいけれど楽しい試行錯誤・・・♪
準備を終えていよいよオープン。といってもお客様が来られるまではいつものお寺の風景。受付の形をととのえて、坊守あきさんとしばし談笑・・・していると、お一人目のお客様が!
ご近所にお住まいのSさん。さむ活だけでなく安楽寺で開催される様々なイベントに参加くださって、せいはんさんもあきさんも仲良しなご近所さんです。「前回来られなかったので」とうれしそうにお越しくださり、仏器みがきを体験してくださいました。
一人で黙々?誰かとわいわい?
わたくし山田も大好きな仏器みがき。Sさんに喜んでいただけてうれしくて、安楽寺中の持って行ってもよさそうな仏器を集めてSさんの前に置いていきます。
そこでふと「Sさんはどんな感じでさむをやりたいのかしら?」と気になりました。さむ活にはいろんな魅力がありますが、一人で黙々と楽しみたい人もいれば、誰かとわいわい話しながら楽しみたい人もいるはず。そして、それを私たちが知るすべは、今のシステムではむずかしい・・・
一人で黙々とやりたかったのに、隣に私が「仏器みがき面白いですよね~」とか言いながらべったり貼りついてしまったら。数分ごとに新しい仏器を持って来てきたら。それでは集中できないし、心地よく過ごせないかもしれません。
Sさんはどうだろう。うん。これは聞いてみるしかない。ということで、優しいSさんの大きな心に飛び込ませていただいて「実のところどうですか?」と聞いてみました。
すると「お話するのが大好きなので」とのことで、必ずしも一人で過ごしたいわけではない様子。それならば、と近くにいて雑談をさせていただいたり、いっしょに仏器みがきをしたり。ご一緒させていただきました。
そもそも…一人で黙々としたい人がさむ活を選ぶのかしら
単純作業だったり、達成感ややりがいがあったり。さむには人を夢中にさせる魅力がたくさんあります。
もともとは住職せいはんさんがお寺の日常の中で一人でやっていたこと。必ずしも無心になるわけでなく、むしろ思考が捗って、頭の中のもやもやが晴れてスッキリしたりするんだそう。だから一人で黙々とやりたい人や、考えることが好きな人にうってつけなのでは!と思っていたのですが、果たしてそういう人が安楽寺のさむ活にそれを求めるのでしょうか。
もしもそういう人をターゲットとするならば、黙々とやれるための条件がまだまだ整っていません。例えば他のお客様との距離とか、スタッフの接し方とか。極端なことを言えば、他のお客様がいない環境・・・例えば1日1名様限定とかにして、スタッフも最低限のコミュニケーションしかしない、というのがベストなのかも。
いやいや、しかし。それならば安楽寺にはその方法がすでにあります。安楽寺の宿坊は1日1組限定で宿泊することができる完全プライベート空間。宿泊なしで滞在できる企画が行われることもあったし、オプションでさむを体験することもできちゃう。ご興味ある方はこちらをどうぞ。
ということは「さむ活」にできることは他にあるはず。一人で黙々というよりも、他のお客さんと体験や時間を共有したり、安楽寺のお二人と会話を楽しんだりしたい方が心地よく過ごせるように仕組みを整えていくといいのかもしれない。
そんな仮説を立ててみたのでした。
この日のお客様は4人。
先ほどご紹介したSさんの他に、なんと3人のお客様がお越しくださいました。みなさんありがとうございます。お一人の時間帯もあれば重なることもあり、またさむ活以外のご予定でお越しになった方もいて、とっても賑やかな一日になりました。
こちらのSさんにも、一人で黙々か誰かと一緒にか、どちらがいいですか?と聞いてみました。すぐに聞いちゃう山田。
すると「一人だと作業が甘くなる(そこそこのところで終えちゃう)気がするから、誰かと一緒の方が逆に集中できるかも」とのこと。
これは・・・目から鱗!なるほどたしかに、誰かの目や存在があるからこそさむをしっかりできる=ちゃんと達成感を得られるという効果はあるかも。
「誰かと一緒に」の理由を、私はてっきり「さみしいから」とか「一人より人と居る方が好き」ということかなと想像していましたが、そうとも限らないんですね。「さむ」の効果をしっかりと体験してもらうためにも、私やせいはんさん、あきさんのようなほどよい距離感の他人が共存する意味があるのかも。
たとえば「ご希望の方にはさむ活スタッフがお供します」「なぜなら、一人でやるよりも誰かとやる方が実は打ち込めたりするんですよ」みたいなお声かけをする方法もあるかもしれません。
でもあまりカチッと決めてしまうとリラックスできないかもしれないので、一緒にやっていたかと思ったらぬるっといなくなって、またふわっと現れてやり始める、みたいな動きがあっても面白いかも。
まだまだ「かもしれない」だらけですが、ご参加のみなさまからいただくご意見やリアクションのおかげで、少しずつさむ活の方向性が見えてきたように思います。ありがとうございます。
さむが終わったら
もう一つ、安楽寺ならではのとっても素敵な風景がありました。さむ活を終えた参加者のみなさんとさむ活メンバーで、何を話すでもなくゆったり座談会。
この光景、安楽寺にいると本当によく目にするんですが、お互いのことをよく知らなくても、堅苦しい自己紹介なく、いつのまにか仲良くなっているという魔法みたいな空間なのです(笑)
住職せいはんさんや坊守あきさんがすでに知り合いで、その場を共有した知らない人同士を柔らかくつなげるという構造もあるようです。私も過去にたくさんの人とつないでいただきましたが、その場かぎりだった方もたくさんいらっしゃいます。でも、あの人元気かなと時々思い出してほっこりする。つながりというほど重いものじゃなくて、しがらみにならなくて、とっても程よいのです。
もしかしたら、さむ活はそういう場になっていくのかもしれません。知らない人同士が、さむという体験や安楽寺のお二人の存在によってゆるやかにつながり、また日常に帰っていくだけ。もちろん何かが生まれることもあるかもしれないけれど、むしろ生まれない距離感の方が、今って貴重なのかも。
まとめ
いかがでしたでしょうか。さむ活ってなんなんだろう、何が提供できるんだろうというところを、少しずつ少しずつたしかなものにしていきたいと思います。
次回は5月29日(月)9~17時開催です。平日開催なので、今回とは違う雰囲気になるかも?とっても楽しみです。
ぜひお気軽にいらしてくださいね!心よりお待ちしております。