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佐渡で台湾を感じる日

書いておきたい事はたくさんあるのですが、なかなか…
時間の使い方が下手だなぁと思う今日この頃。
とりあえず感動が薄れないうちに…

佐渡島は金山が世界遺産に登録され、金山目当てに来島される観光客が増えたようですがこんな所もあるんですよ、とご紹介を。

佐渡島・矢島にある旧山本悌次郎別荘にいってきました。


この建物は1911年(明治11年)に東京から宮大工を連れてきて3年の月日をかけて完成させた、山本悌次郎の別荘です。が、近年は茅葺屋根に穴があき建物は傾き、経年劣化による損傷も激しく。解体する話も出てきたようなのですが、クラウドファンディングなどで資金を集め、修繕し、公開しているものです。

7月から9月までは雨が降らない限り、毎日公開しているのは知っていましたが中々タイミングが合わず。もう、9月が終わる!と慌てて駆け込んだのが9月28日。
自転車では到底家から行けないところにあり、家人に車で連れて行ってもらいました。が、最初家人はあまり乗り気ではなく…結果私より気に入って次の日のライジングサンのイベントにも行く事に。

ところで、その山本悌次郎って誰?と思われる方が殆どだと思いますので、ざっと説明を。

1870年(明治3年)に佐渡島の真野新町生まれ。

16歳でドイツ留学、23歳でイギリス留学。帰国後に宮内省、仙台第二高等学校、日本勧業銀行、等で要職に就いた後に衆議院議員を当選(11回当選)

1904年(明治37年)台湾製糖取締役に就任 
1925年(大正14年)台湾製糖社長に就任

1927年(昭和2年)〜 田中儀一内閣・犬飼剛内閣で農林大臣に就任

1937年(昭和12年)逝去

山本悌次郎別荘 パンフレットから一部抜粋

この時代にヨーロッパに長いこと留学した経歴がある人って中々いないですよね。しかも離島出身で。実家が漢方医で大層な資産家だったそうです。留学中は貴族と親交があったと聞きました。
建物が独創的なのも、諸外国での見聞が広かった事にも関係あるのでしょうね。

明治から大正にかけて、台湾の製糖会社の経営に携わっていた事を知り、これは10月に渡台する前に行っておかねば、とも思っていました。

建物は、ちょっとわかりづらい所にありました。ライジング・サンイベントの前に行っておいてよかったです。真っ暗な中だと辿り着けなかったかもしれません。

この朱色の橋が目印です。

門構えがすでに独創的。以前は茅葺きだったと思われます。

流木を使っていますね

天井

鹿の角を連想しました


床の間

無数の穴は、ふなくい虫の後だそうです。破損した船の船底を使用したもの。独特の美ですね。

そのお隣がこちら。

中々写真では伝わりませんが…

回廊

鯛の鯛に見えました


回廊天井は矢島の双生竹を使ったもの。
一本の竹から2本ずつ生えてくる独特な竹で、普通の竹より強度があるらしく。鵺退治にも伝われた、とも言われる、知る人ぞ知る竹。

建物の周りにはたくさんの流木が。
これらをうまく利用していますね。

別のお部屋の天井

寝転んで鑑賞することを勧められました。

板の一枚一枚が独特です

ここまでが最初に来た時撮ったもの。

次の日の早朝、ご来光を拝みに再び来訪。

静かな夜明け
日の出前、うっすらと
少しずつ…
途中、雲間に隠れたり

海鳥、見えますか?いつも来るコらしいです。

釣り人も


飛行機雲が見えました。

鳥が集まってきています
まだ同じ場所にいる海鳥

主催者のご好意で、干菓子やお茶の他に鯛焼きも頂きました。

朝からしあわせな味


主催者の方が後ろから撮って下さいました。

とても贅沢な時間でした。priceless

今月はお月見イベントもあるそうです。おしるこ付きだそう。
残念ながら私はその時台湾にいるので参加出来ませんが、家人は参加の予定。その日に山本悌次郎とゆかりのある高雄に丁度いるのもなにかの縁でしょうね。

月夜の山本悌次郎別荘を想像しながら帰宅しました。

旧山本悌次郎別荘で販売しているポストカード





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