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【ワーホリ日記】NZで「すずめの戸締まり」を見て
こんにちは。ニュージーランドでワーホリ中のさめです。
昨年10月まで遡ってしまうのですが、オークランドで「すずめの戸締まり」を初めて鑑賞しました。何気に新海作品を見るのは初めて。
映画館で上映されていた訳ではなく、オークランド総領事館主催が定期的に開催している日本映画の上映会で無料で見ることが出来ました!
日本映画上映会は、オークランドだけではなく大使館があるウェリントンや領事事務所があるクライストチャーチでも定期的に行われているそうです。
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日本語での上映ですが、英語の字幕付きのためお客さんは日系らしき人だけではなく多様な人がいらっしゃいました。
今回は鑑賞した感想をつらつら書いていきます。(若干ネタバレが入ってしまうので、未鑑賞の方は自己責任でお願いします。)
御茶ノ水駅
物語の中で重要な役割を果たす御茶ノ水駅は私にとっても思い入れの深い場所です。私が通う東京大学の本郷キャンパスからも歩いて20分ほどと近いところです。
2年の時、何を思ったか週一回だけ本郷キャンパスでの授業を取っていました。(注:東大の1,2年生は渋谷近くの駒場キャンパスでの授業が中心で、3年生以降の学部によっては2年後期に本郷に行く必要があるが私の場合は必要なかった)
その後、JR中央線沿いにあるバイト先に向かうのがその曜日のルーティーンでしたが、本郷キャンパスの最寄り駅、本郷三丁目からだと「本郷三丁目→(丸ノ内線、たったひと駅)→御茶ノ水→(中央線)→バイト先」となってしまい、丸ノ内線の料金が勿体無いところ。
そんなわけで、電車賃を節約するために本郷キャンパスから御茶ノ水駅の間をよく歩いたものでした。(とかいいつつ、遅刻魔だったのでよく丸ノ内線にも乗ってしまっていたのですが。)
首都直下型地震の恐怖。慣れた場所が奪われうる辛さ。
御茶ノ水駅近くでミミズが現れる光景はひたすらショッキングでした。
はっきり言ってしまえば、現実世界で起こる地震は閉じ師が要石を刺すことで防げるようなものではなく、いつ起こるのかなどといったことはまだまだ予測がつきません。
大事な場所を失わなくて済むように、出来ることをしなければ、という思いが強まりました。
3.11
この作品と切っては語れない3.11のこと。
私は小学一年生、7歳でした。14:46という時刻は、ちょうど私が学校から家に着いたその時でした。
私の住んでいた地域では甚大な被害こそなかったものの断水や停電などといった影響は長く続きました。学校は休校になりました。
母はその時「外に出てなさい!」と言ったそうですが、私の耳には届いていませんでした。
向かいの家の壁が完全に剥がれ落ちたのを見て、「もしあの時外に出していたら間違いなくあなたを亡くしていた」と母は泣きました。
母親を亡くし、慣れない土地へと移り住むことになった鈴芽の痛みとは比べることはできませんが、あの日あの瞬間はいまでもありありと痛みとともに思い出すことが出来ます。
本作のように震災を直接的に描くのはショッキングで、見たくないと願う人がいるのは当然のことです。
それでも、私はこの時のことをきちんと学び記憶して継承していきたいと強く思わされたのでした。
肉親を失うということ
震災とは関係ないのですが、私も鈴芽と近い年頃であった時、父を亡くしかけた経験があります。
今でこそ両親ともに健在ですが、父は入院を強いられ、母は病院と家の往復をするような生活で、私は様々な人に同情されたり、他の人に預けられたり、という日々を数ヶ月程過ごしました。
鈴芽が環さんのことを「環さん」と呼ぶことに代表されるような微妙な距離感は、私にあの頃の他の人たちへの気持ちを思い起こさせるようなところがありました。
親(ないしはそれに近い立場の人)というのは生まれてからの多くの期間を共に過ごす存在。勿論大人になってから失うのも辛いものでしょう。
しかし、まだ物心ついて間もない、世の中の道理を分かりきっていない子供にとっていきなり身近な人を失う衝撃は恐ろしいものです。
私の場合は父が奇跡的に生還し、働けるまでに回復したことによりそこまで傷を負わずに済みましたが、もし本当に父を失っていたらどうだったでしょうか。もし鈴芽のように慣れない土地で他の人と暮らすことになっていたらどうだったでしょうか。
翻訳できない言葉
本作の主要人物(人じゃないけど)に「ダイジン」がいます。
日本語を知っている人ならば、ダイジン=大臣なのはすぐ分かります。作中では、ダイジンと呼ばれるようになったのはその風貌が昔の大臣を思い起こさせるからだ、と言及されていました。また、後半でサダイジンも登場しますが、サダイジンといえば「左大臣」。少し歴史に詳しい人であれば、左大臣は遠く昔存在していた役職のひとつで、右大臣よりも上だから、偉い人だ(今回は人じゃないけど)、というのが分かるでしょう。
ダイジンとサダイジン、英語での訳は「Daijin」「Sadaijin」。名前をローマ字にしただけです。
固有名詞なのを考えれば、「Minister」「Minister of the left」と訳すのは違うように思われるので、それは仕方ないのかもしれません。しかし、日本語を知らない人にとってはこの訳出によって「大臣」「左大臣」という意味が失われてしまっているのです。
或いは、こちらはどうでしょうか。
「いってらっしゃい。」「いってきます。」
クライマックスに近づいていく場面で、人々がこのような会話を交わすシーンがあります。
そういった言葉を交わすのは日本人である私たちからすれば当たり前の光景で、意味を忘れて言っていることもあるでしょう。
このシーン、英語での訳出は、
「See you soon.」
等となっていました。
似たような別の表現を使うことで表現の多様性を尊重しようとしていましたが、方言やちょっとしたニュアンスの違いまでは訳出されていませんでした。というか、できないと思います。
そしてそもそものタイトルも、「戸締まり」が訳出されておらず「Suzume」だけ。
これに限りませんが、日本語にも英語にも厳密には翻訳できない言葉というのは必ずあるものです。きっと、殆どの言葉の翻訳は「あくまで同じような意味」なのであって、「厳密に同じ意味/ニュアンス」というものにはなり得ない……そういったことを強く感じさせられました。
だからこそ言語を学ぶのは面白いのかもしれません。
言葉というのはその背景の文化や思想、歴史と強く結びついているもので、翻訳ではなくその言語自体を知って始めて理解出来るものも多くあるのでしょう。
だいぶ真面目な感じの記事になってしまいましたが……。
それだけ私にいろいろな思いを去来させる、悲しさと、緊迫感と、その中にも時にユーモアを、そして何より多くの希望を持つ、本当に素敵な映画でした。
またいつか忘れた頃にちゃんと見返せたらいいな。