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「情報」の先にある未来…定常型社会を見据えて

長期視点で考える私たちの未来

 2022年11月30日に生成AIの一つである大規模言語モデル(LLM)を活用したサービスChatGPTが公開され、経営戦略の見直しを行った経営者も多くいるだろう。ご多分に漏れず、私もその一人だ。しかし当時の私が出した(出せた)結論は、「もう少し様子を見よう」であった。なぜなら、LLMのバージョンアップの頻度と進化の程度が予測できなかったからだ。そして1年半ほどが経過し、生成AIは短期間で驚異的な進化を遂げた。現在ヒトが行っている業務がAIに代替される未来は、大方の予想通り、起こるだろう。ただLLMのバージョンアップの度に、経営戦略の見直しを行うことは避けなければならない。
 その後、思考実験を繰り返し、戦略策定段階に考慮すべき2つの事項が浮かび上がった。1つが、中長期志向の中で戦略を策定すること。そしてもう1つが、論点を「デジタル」という領域の”枠”に閉じ、箱の外に論点の射程や関心を向けることである。日本の中でイノベーションが起こりにくい理由は、他でもなくこれら2つが考慮されていないからではないだろうか。つまり論点を導き出す射程をもっと広げ、専門分野を超えた、それ以外の領域までを視野に収めて、それら全体のあり方を問い直していくというアプローチが必要なのではないだろうか。今回は、長期的な視点から社会全体を捉え直し、固定概念の”枠”を取り払い、私たちの未来を構想してみる――。




1. 「スーパー資本主義」vs.「ポスト資本主義」

 私たちは現在、「資本主義」の追求を続けるのか、あるいはそれとは真逆の地球環境をめぐる「持続可能性」や人間の「幸福(ウェルビーイング)」の価値や目的を求めるのかの分水嶺に立っている。
 「資本主義」の追求とは、言い換えれば、すべてがデジタル化され極限まで効率化が進み、人々がそこに一定の利便性を見出す一方で、スピードと利潤をめぐる競争が極限まで展開し、労働の断片化や格差拡大と並行して、資源・エネルギーの争奪戦が進行し、その帰結として気候変動などの環境危機がさらに加速していくような世界観を表す。ここでは「スーパー資本主義」と呼称する。
 一方の「持続可能性」と「幸福」とは、人々が地球資源あるいは環境の有限性に関心を向け始め、持続可能な経済社会のありようを志向し、併せてそこでの富の分配の公正という課題や、コミュニティないし相互扶助的な価値、ひいては人間にとっての幸せや豊かさの意味を再考していくような世界観を表す。ここでは「ポスト資本主義」と呼称する。
 「スーパー資本主義」、あるいは「ポスト資本主義」のどちらを志向するにせよ、生産性の向上や効率化等といったことが重要であることは否定しない。しかし、国を挙げての経済成長や限りない拡大という発想自体が、既に時代に合わなくなってはいないだろうか。


2. 人類における第三の定常化

 戦後の日本は、物質的な富の拡大を目指し、アメリカを理想的なモデルとし、人口増加も相まって経済成長し続けることができた。そして世界からも経済成長の優等生として讃えられ、当時のビジネスパーソンの中で強烈な”成功体験”として意識の奥深くに刻み込まれた。それが”昭和”という時代であった。やがてバブルも崩壊し、”平成”の時代に突入しても「昭和のやり方を続けていれば日本は再興できる」と考えられていた。しかし人口減少社会に転じたことで、経済規模は一向に拡大・成長しなかった。日本の場合は、国内市場をターゲットにしている企業が多く、生産性の向上やイノベーションが起きても、人口がピークを越えた中では限界がある。つまり、経済成長とは人口のサイクル(拡大⇨定常化)と強い相関があり、そのサイクルのどの状態に位置しているかに左右されるということが理解できるだろう。

2-1. 人類史におけるサイクルと移行期の文化的創造

 人類史を俯瞰すると、人口や経済の拡大・成長と成熟・定常化というサイクルを3回繰り返している(図表1)。しかも、拡大・成長から成熟・定常化への移行期においては、それまでに存在しなかったような革新的な思想や観念が生まれるという点が基本的な認識である。

図表1. 世界人口の超長期推移(ディーヴェイの仮説的図式)

 第一のサイクルは現生人類(ホモ・サピエンス)が地球上に登場して以降の狩猟採集段階、第二のサイクルは約1万年前に農耕が始まって以降の拡大・成長期とその成熟であり、第三のサイクルは近代或いは産業革命以降の300~400年前後の工業化社会である。
 このような意味において、私たちは人類史の中での「第三の定常化」の時代への移行期に立っているという仮説である。

 ところで、そもそもなぜ、人類史においてこうした人口や経済の拡大・成長と定常化のサイクルが起こるのだろうか。それは、人間による「エネルギー」の利用形態、あるいは人間による”自然の搾取”の度合いという点に対応している。つまり栄養分ないし有機化合物を自ら作ることができるのは植物だけなので、動物は植物を食べ、人間はさらにそれらを食べて生存を維持している。それが狩猟採集段階ということになるが、農耕が1万年前に始まったのは「食糧生産」、つまり植物の光合成をいわば人間が管理し、安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。さらに近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と呼ばれる石炭や石油を燃やし、大量のエネルギーを人間は得るようになった。私たちはエネルギーを生み出すために大量の石炭や石油を燃やしているが、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化を導いている。

 以上のように、人間の歴史には「拡大・成長と定常化」のサイクルがあり、その3度目の定常化の時代を迎える入り口に私たちは立っているのではないだろうか。そして先にも触れたように、人間の歴史における拡大・成長から成熟・定常化への移行期において、それまでには存在しなかったような何らかの新たな思想ないし価値、あるいは倫理と呼べるものが生まれたのである(図表2)。

図表2. 人口の定常化時代における文化的創造
出所) 環境省 広井委員提出資料

 定常化①の時代においては、加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れる。つまり人間の「心(あるいは意識)」が生まれた時代である。定常化②の時代においては、資源・環境的制約の中で、いわば「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展」という面での革新の時期であり、普遍的な原理を提起するような思想が地球上の各地で”同時多発的”に生まれた時代である。
 つまり狩猟採集段階の前半において、狩猟採集という生産活動とその拡大に伴って”外”に向かっていた意識が、有限な環境の中で資源的制約にぶつかる中で、いわば”内”へと反転し、そこに物質的な有用性を超えた装飾やアートへの志向、それらを含む「心(意識)」の生成、そして「自然信仰」が生まれたのではないか。人口の推移と照らし合わせてみた場合に、人類が成熟・定常化社会になると必ず文化的創造に意識が向いている。つまり技術革新が起きようが起きまいが、人口が定常化状態に入るとヒトの価値意識は文明的価値よりも文化的価値に重きを置くようになっているのだ。

2-2. 世界人口の長期トレンド

 実際のところ、先進諸国や東アジアの人口は既に減少局面に入っている。当面人口増加が見込まれるのはアフリカだが、それも21世紀半ばには成熟期に入る。その結果、2022年に出された国連の人口推計では、世界人口は2086年に104億人でピークに達すると予測されている(図表3)。

図表3. 世界人口の展望
出所) United Nations, World Population Prospects 2022

2-3. 日本の総人口の長期トレンド

 2023年の合計特殊出生率は1.20となったという衝撃的なニュースが入ってきた。日本の人口カーブはまるで”ジェットコースター”のような曲線を描いており、現在の出生率が継続すれば、2050年頃には1億人を切ると予測されているが、ニュースを基にすれば予測を上回るペースで人口減少している(図表4)。

図表4. 「日本の総人口の長期トレンド」

 図表4.の通り、私たちは”昭和”という時代とは真逆のベクトルの時代を生きており、世界で最も早く定常化社会に至るだろう。日本は紛れもなく移行期に突入しており、日本人の価値観は確実に変化していると言えよう(図表5)。

図表5. 「日本人の価値意識」

 これまで見てきたように、人々が地球資源あるいは環境の有限性に関心を向け始めるのは当然の結果だということが理解できるだろう。特に、世界に先駆けて定常化社会に向かう日本は、持続可能な経済社会のありようを志向し、併せてそこでの富(税と社会保障)の分配の公正という課題や、コミュニティないし相互扶助的な価値、ひいては人間にとっての幸せや豊かさの意味を再考していく時期に来ているのではないだろうか。


3. 定常化時代に重視される価値

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