40歳でも彼氏ができた女(12):私たちの年収について。
10年ぶりくらいに花火大会に行った。
ずっと昔に買ってもらった綺麗な水色にピンクの花柄のお気に入りの浴衣は、もうどこかへ消えた。
あの浴衣を着こなせていたわたしも、もうどこかへ消えた。
出不精、そして暑さが苦手なわたしがこの夏はよく出かけているもんだ。
去年とは180度違う夏。
7月初旬は本当につらかったけれど、8月になって、もうこの暑さの中出掛けることにも慣れた気がしている。
毎週、出掛ける前は窓の外のギラギラした様子を見て心が折れそうになってはいるけれど。
そういえばMさんは、こめかみから汗を流しているわたしの姿に、もう慣れたらしい。
わたしはこの流れる汗がコンプレックスで仕方なかったのに、これが受け入れてもらえているなんて、本当に幸せなことだなとつくづく思う。
花火大会が始まる3時間前から、芝生にビニールシートを敷いて冷え冷えのビールを飲みながら、ひたすら話していた。
汗が止まらないほどの暑い日のキンキンに冷えたビールより美味しいものはまだ見つからない。
そういえばいつの間にかわたしたちのデートにはビールが欠かせなくなっている。
広い会場だったから、追加のお酒にも、トイレにも、帰りの電車にもほぼ列ばなかったことは、この花火大会がとても楽しめた一番の要因かもしれない。
この日。
思いもしなかったことが起きた。
1週間前に話していた「一緒に住もう」という話の続きをMさんがしてくれた。
「ひとまず今の僕の部屋に引っ越してくるというのでどう?」と。
わたしの希望としても、新しい2人の部屋に引っ越すことよりも一緒に住むことの方が優先だったから、それでいいよと答えた。
たったの1週間で、きちんと決断してくれたことが嬉しかった。
もういつ引っ越して来てもいいよと言ってくれて、心が現実に追いつかない気持ちだ。
話がまとまったところで、Mさんがトイレに行った。
いつ引っ越そうかな、とりあえず同居の父には挨拶してもらわないとな、など、こんな年齢になっても親に話を通さなきゃいけないことがあるなんて、親子というのは時に面倒だなとか考えていた。
でも、いまだにそういう話をする必要がある親が健在ということは、実は感謝すべきことなのだ。
トイレから帰って来たMさんが腰を下ろすか下ろさないかのなんでもないタイミングで、
「ぱいなっぷる子の年収ってどれくらいなの?」
と聞いて来た。
エ!!!!!!!!
婚活するにあたり、相手に年収を求めてしまうことをなかなかやめられなかったわたし。
相談所に入会してもうまくいかなくて、これは自分に問題があるのだと気づいて、とことん自分と向き合って、本当に自分が結婚相手や結婚生活に求めることに気がつけた。
年収なんて関係ないとようやく思えた。
そしてやっと、Mさんに出会えたのだ。
そういうこともあったから、年収の話ってタブーだと思っていたし、もうそういう呪縛から解放されたからぶり返したら嫌だなと思っていた。
またとんでもない自分の思考が顔を出すのが怖かった。
こんなにど直球な会話はしたくないなと思いつつも、家族になるのならもうなんでも話せばいいかと思って、わたしの年収を伝えた。
そしてMさんの年収も教えてもらった。
結果、お互いの年収の話をしてよかったと思った。
2人合わせてこれくらいの年収になるのなら、これくらいの部屋を借りれるねとか、少し贅沢ができるねとかいう話ができたから、2人の将来がそれまでより具体的に描けるようになった感じがした。
わたしは、学生時代の正社員を続けている友達の中で一番年収が少ない。
それなのにMさんは、思っていたよりわたしの年収が高かったようで喜んでくれた。
ちゃんと稼げているよ、2人の年収合わせたらいい生活ができるよと言ってくれて、友人と会って時々「どうしてこんなに低賃金な人生になってしまったのだろう」と思ってばかりだったから、初めて「頑張っているよ」と言ってもらえた感じがして嬉しかった。
わたしの周りが、世間的に見て相当な高収入なのは事実。
そして、わたしの金銭感覚がバグっているのも事実。
Mさんは堅実。
ここに来てMさんという新しい登場人物がわたしの人生に現れたことで、新たな発見ができた。
わたしの年収は高くないけれど、きっと充分なのだ。
オシャレやハイブランドには興味がない。美容にもそこまでこだわりがない。
食器や生活雑貨はこだわりたい。
思い出になるようなものや経験には、お金をちゃんと使ってもいいかな。
自分に必要なだけのお金は、ちゃんと自分で稼げているのだと思った。
きちんとお金をいただけているのだから、もう少し頑張って働こうと思った。