【だから、もう眠らせてほしい】hitomi
もし、私の患者さんがそう言う日が来たら私はなんて答えるだろう。私に何ができるだろう。そう思いながら手に取った。
私が作業療法士として患者さんと関わるときに心に決めていることがある。
人と人として関わること。
その人自身の応援者であること。
もちろん緩和ケア病棟の患者さんと関わるときも同じだ。
「家に帰りたい」
幡野さんの言う通り、今の医療において本人が一番弱い立場であることがとても多い。
家族の意見が最優先で治療方針や方向性がそれによって決まることも多く、それ故に歯痒さを覚えることもしばしばだ。
「家に帰りたい」と訴える人は多く、緩和ケア病棟の患者さん関しても同じだ。
だってそりゃそうだよ、家が一番落ち着くに決まってる。いつもの景色に家族の声、ご飯の匂いにいつもの布団。友達だって会いに来てくれるかもしれない。手土産なんて持って。
特に、コロナウイルスが猛威を振るっている今は家族でさえも面会できないなんてことも少なくない。
あと何回会えるかわからないんだよ。
そりゃ慣れない病院のベッドに寝ているよりずっといいよ、家の方が。
だけど実際には、家に帰ることが叶わないことの方が多い。
私は帰れない状態はないと思っている。
どんなに症状が進行していようと家の布団に寝れないなんてありえない。
だって昔はみんな家で死んでたんだから。
「もしも何かあったどうするの?!」
もしも何かって、申し訳ないが緩和ケア病棟の患者さんであれば病院にいようともしもの何かがあってもどうしようもない。
だけど、「こんな状態で帰るなんて無理」という医療者側の根拠のない決めつけや、もしもを心配する家族の意向を尊重し本人の希望が無視されることが多い。
本当にそれでいいのか。
いや違うでしょ!本人の望みを叶えるために、どうすればそれができるのかを模索していくのが医療でしょ?
医療じゃなくても作業療法はそうであるはずだ。
家に帰るにあたり、
家族が不安があるならば、
何がどう不安なのか、
どうすれば不安を解消できるのか、
どうなれば家に帰してもよいと思えるのか
模索していく必要がある。
最後まで諦めたくない。
だって家に帰りたいって言ってるんだから。
最後の最後まで応援者であり続けたい。
私も命ではなく希望を守りたい。
だから、Y君の最期はとても理想的だと思った。
最後までY君らしく「今ここ」を生ききった。
それに至るまでには私には到底計り知れない葛藤もあったのだろうけど。
奥さんは「今ここを生きる人」としてご主人を理解し、意思を尊重し、最後までY君らしくいることを支えきった。
優しさの中に強さのある素敵な方で、Y君にとって本当に運命の人だったのだろう。
そして、それを支えた西先生や及川さん。
本当に集まるべくして集まったY君の運命の人たちだったように思う。
やっぱり家で最期を迎えるっていいことだなと改めて感じた。
家で最期を迎えることについては、死にゆくということ1で書いたが多くの人が自宅で最期を迎えたいと考えている中で迎えられていない現実がある。
決して、病院で亡くなることを否定しているわけではない。
望んだ場所で最期を迎えられることが一番理想だと思っている。
だけど、現実には病院で亡くなる方がほとんどで、緩和ケア病棟でも多くの患者さんを見送っている。
だからこそ、緩和ケア病棟の質を担保するために都市圏に緩和ケア病棟を集約した方がいいというのは私は反対だ。
生まれ育った地で人生を終える人は少なくない。
そこから出たこともないのに最期を迎えるべく都市に行きたいと思う人はいないだろう。
窓から見える景色は都市的で、聞こえる言葉に聞きなれた方言はない。
面会者も頻繁には来れず、ただただ毎日天井を見ながらできることの減っていく助けてもらうことの増えていく生活を送ることができますか?
私にはできない。
おそらく、退院の選択肢はないだろう。
緩和ケア病棟でさえ十分な医療が提供されていないとされる地域で在宅緩和医療が発達しているとは思えないから。
そうなったときに緩和ケア病棟に入院するメリットは何だろうか?
身体的苦痛の緩和?
それ以上に精神的苦痛が勝ってしまうと思いませんか?
「耐えがたい苦痛」は精神的苦痛になってしまうと思う。
そして、都市にしか緩和ケア病棟がないことで、緩和ケアを必要とする人が緩和ケア病棟に入院することを選択しないことが増えるだろう。
必要であるにも関わらず、十分な終末期医療を受けられないままに一般病棟で最期を迎えることになるだろう。
だから、やっぱり時間はかかるかもしれないけれど生まれ育った、生活を営んできた地域で最期を迎えられるような体制ができていって欲しいと思う。
欲を言えばみんなが安心して自宅で最期を迎えられるような体制が。
「だから、もう眠らせてほしい」
そう言われたらどうしようか。
なんでそう思ったのか、何がそう思わせたのか。
ただ、一つ経験の中で確信していることがある。
それはきっと精神的苦痛からくる言葉であるということ。
「一人で何もできなくなった」
「家族に迷惑をかけている」
「みんなよくしてくれるのに私は良くならない」
「天井を見上げて家族を待つしかできない」
そして続く言葉は
「もう死んでしまいたい」
決して安楽死と鎮静を同じような意味でとらえている訳ではない。
だけど、そもそも吉田さんのように持続的鎮静というものの存在を知っている患者さんに出会ったことがない。
病状の進行によっては説明を受けるだろうが、早い段階で説明をされることは少ないだろう。
だって、身体的苦痛が著明にならない限りは行うことがないのだから。
「耐えがたい苦痛」の定義って誰が決めたんでしょうね。
だけど「耐えがたい苦痛」があるからと言って死んでほしくないし、眠ってほしくない。
私は、その人自身の応援者でありたいと思っているけれど、そこも鵜呑みにしてじゃぁ眠りましょう!とは言いたくない。
だって、私の大切な人だったとしたら眠ってほしくないし、死んでほしくないから。
きっとあななたも誰かの大切な人だから。
少なくとも、もうあなたは私の大切な人になってしまったから。
正直、私にできることなんてほとんどない。
なんでそう思ったのか、何がそう思わせたのか全力で一緒に考えたい。
解決できることなのかはわからないけど全力で取り組んでいくと伝えたい。
今までもそうだった。
それくらいのことしか私にはできない。
だけど、それでいいんじゃないかなと思っている。
私は神様ではないし、なんでもできる万能な人間でもない。
きっと伝わるはず。
ここに味方がいるということだけは。
これが今の私にできる精いっぱいの「死にたくなくなる」手立てではないかと考えている。
これから先、どんな社会になりどんな医療が発達するのかかはわからない。
だけど、どんなに社会や医療が変わろうとも
どうしたいのか
どうなりたいのか
どうなりたくないのか
どこで
どんな最後を迎えたいのか。
あなたの意思が最も尊重される世の中であってほしい。
生を受けてから生を終えるまで
人生の主役はあなたでしかないのだから。
私にも、そんなドラマのお手伝いを少しだけさせてください。
あなたが笑顔で手を振れるように。
みんなが笑顔であなたに手を振れるように。
さぁ、今日も笑って今を生きよう。
この本に出会えたことに感謝します。
ありがとうございました。
最後に。
及川さん、私及川さんのような人になりたいです。強さの中に優しさのある人に。そして、私たちが作りたいのも暮らしの保健室のような地域の中でいつでもだれでもふらっと行きたくなるような場所です。夢を夢で終わらせることなく実現できますように。
hitomi
その後のお話。
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