キネティックサンドを使った体験型宗教の授業「天地創造」
聖書から子どもたちに伝えたいこと 〜旧約聖書 人間の創造の体験型の授業から考える〜
瀬尾 さとみ
(南山学園 聖霊中学校・高等学校)
宗教の授業において、聖書は欠かせない。しかし、この聖書はどのように教えられているのだろう。皆同じ1冊で、同じ言葉が載っているのに、教え方は千差万別だと感じてきた。今回のラウンドテーブルでは、この聖書の教え方について、特に体験を通して教えることについて模索してみたい。
話題提供として、天地創造における、人間の創造をキネティックサン
ドという、室内用の砂を使って、人をかたどるというワークを実施する。
このワークは、創世記2章7節の「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった。」を扱う。この個所を読み生徒たちはキネティックサンドを使って思い思いに、人を創造する。創る前にあまり細かいことは伝えず、自由につくってみるよう促している。このワークで面白いな、と思うのは、まだ授業では触れていない「エバ(女)」も創っていいですか、と必ずどこかのグループが言い出すことである。聖書に忠実につくろうとするので、聖書を先の箇所まで読みはじめ、アダムのあばら骨から作ったから、アダムつくってあばら骨からエバを作ろうとか、ひとりでいるのは良くない、って本当だよね、などといろんな会話が出てくる。他にも、神様に似せたって、ちょっと大切にされている感じがすると共感している生徒がいたり、先生、なんで裸であることを恥ずかしがらなかったんだろう、とか、女からつくってほしかった。など生徒たちは自ら聖書を読んで疑問に感じたことを伝えてくれる。
聖書の言葉や話には、メッセージがあるが、私は生徒たちが「なぜ」を深く考えることがとても大切なことだと思っている。そして、人と関わり何かを創り上げる中で、交わされていく会話は、深く豊かなものが多い。もちろんキリスト教の解釈という点で異なる意見や考えも存在するが、まず自分で考えたことを言葉で表現し、人と分かち合うということは、ただ聖書を読み、講義するだけでは、言葉を追うだけでは出てこないやり取りや理解の深まりを感じる。この授業では、様々な意見をシェアしたうえで、「神の似姿としてつくられた、かけがえのないあなた」についてこちらからメッセージを伝えている。
高校3年生の最後に、今まで一番印象に残っている宗教の授業を聞くと、この授業は必ず話題に上がってくることから、生徒たちにとっても心に残る授業なのだと思う。体験を通して聖書を学ぶことについて、参加者の方と共に、ワークを通して考えてみたい。