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適応障害 わたしなりの向き合い方
適応障害と言われて1年が経過した。
ほわわんと過ごしてきて、「適応障害になる前より、生きやすくなってきたかも~」となったわたしの、適応障害との向き合い方を書いてみようかなあと思った。
まあ、別に、病気と向き合ってはいないんだけど、こういうタイトルにした方が分かりやすいかなと思ってさ。
"病気"と向き合う前に"自分"と向き合うべき。
病気なんて、人類が勝手に名付けたもの。
わたしのこころとからだの調子を、医者は勝手にそういう分類をつけただけで、病名自体は「どうでもいい」。
というわけで、本題に入ると、わたしのこの1年は、「自分と向き合って、楽しく暮らしてきた」だけなのだ。
「自分と向き合う」ことだけは、ちょっと頑張らないといけない。
どうして心身が悲鳴を上げるまで、頑張りすぎたのか。
子供時代の記憶まで遡って、自分の世界と外の世界とのギャップを埋め合わせたり、認知の偏りを自覚しなければならない。
例えば、わたしはカウンセラーさんにこう言われた。
「ここまで頑張る人はいない」と。
からだを起こせなくても働いていた様子を話したら、こう言われた。
正直、わたしは驚いた。
「これが普通かと思ってた」
ここに、認知の歪みがある。
みたいなことを、繰り返し繰り返し地道に進める。
平行してからだのケアもして、ガチガチになっていたこころとからだを緩めていった。
「頑張りすぎていた」ので、自分を見つめること以外は、休息を取って楽しく暮らすことにした。
でもね、それも難しいの。
何が楽しいか、分からなくなっていたから。
五感をフル活用して、真剣に心地よいことや楽しいことを探していった。
そうすると、徐々にエネルギーが充填されていった。
病気であろうがなかろうが、「人生とどう向き合うか」は大切な要素だと思っている。
けど、日々、忙しすぎて、こういう大切なことを見ている人は少ないのかも、と思ったりする。
わたしもそのひとり。
意識の中になんとなく敷かれた人生のレールがあって、落ちないように、慎重に進んでいった。
ちなみに、わたしは、発達障害傾向、HSP傾向、生きづらさのオンパレードのような人間だ。
結果として、パニック障害歴は10年くらい、適応障害歴は1年くらいで、今さら適応障害と言われても「だからなに?」というのが、実際のところだった。(褒められないけどね)
ありのままのわたしでは、この世の中は生きていけない。
感覚過敏、過度な集中、こだわりの多さ、それらを手放して、「世の中のあるべき女性像」に合わせようとした。
アダルトチルドレン傾向もあって(人って色々な要素があるよね)、外の世界で「良い子」になろうとした。
とても、きびしく。
でも、それでは、現代社会を生きるただのロボットだ。
心身を崩すのは目に見えている。
からだは、然るべき反応を起こしたのだ。
わたしは人生を外の世界に委ねていた。
親だったり、会社だったり、わたし以外のなにかが敷いたレールを走ろうと、日々恐怖を感じながら生きてきた。
(パニック発作の恐怖を抑えて7年くらい通勤してたから、これは本当の話)
だから、適応障害とか言われたけれど、このこころとからだの反応は正しいと思っている。
世間のレール。
お金を稼ぐためには、会社に服従して。
周りから何も言われないためには、結婚して子供を産んで。
みたいなやつに縋ろうとしてきたけど、それは本当にわたしにとって選択すべき道なの?
本当は、わたしは何をしたいの?
こういうことを考えて、塞がっていた五感を取り戻していくにつれて、わたしは人生で一番活き活きし始めた。
だから、SNSで表現活動を始めた。
「どう生きる?」
「どう時間を過ごす?」
わたしは、真摯に取り組む。
あまりに世の中に流されすぎて、自意識のなかったわたしをしばいてくれた、なんちゃら障害と呼ばれるやつに、感謝の念すら覚えることもある。
まあ、きつかったけどね。
でも、そこまでしばき倒されないと、わたしは方針を変えることはなかった。
渾身の力で殴ったんだろうなあ。
これからは、生きづらかったわたしを救い、世間の風に触れて、抑えていた自分を発揮していく。
ようやく最近、わたしの本当の人生が始まったと言える。