決断した理由は単純
1.帰ってきたけど...
いつもの日常になってきた辺り
父は何もなかったように家にいた。笑
元からあまり話をしなかったし
私も部活で忙しかったので特に会話もなかった。
自慢げに災害派遣の話をしたり
苦労話をすることは一切なかった。
ただ当時よく流れていた「ACジャパン」のCMを軽くふざけて歌った時だけ、ビックリするほど怒鳴られたのを覚えてる。
歌と一緒に色んなことを
思い出してしまうんだろうなと
今になったら想像がつく。
それ以外は特に話をすることもなかった。
聞いたらいけない気がしたし
私には受け止めきれない話だと無意識に感じて
自分から災害派遣の話を聞くことはなかった。
高校では進路を調べる時間が増え
社会科では震災についての作文を書かされ。
ネットで何となく
「陸上自衛官 採用 女性」と
検索してる自分がいた。
(私が自衛官?)
(ないない。笑笑)
(絶対、ない笑笑)
女で自衛官なんて強気で体力があって
男勝りな人がなるものだ。
私はもっとキレイを追求したい!
やっぱり鍼灸師になりたい◎
2.夢の鍼灸師へ
すっかり進路は専門学校一択。
願書も取り寄せ試験も受けて
念願の鍼灸師学科を調べて受験。
簡単に合格をした。
やりたい事•身に付けたい技術。
夢に向かって行動するのはワクワクした!
しかし直前になって
進学資金が足りないことを
母に打ち明けられる。
散々喚いて泣きながら、合格を辞退。
親に当たり散らしたが状況は変わらない。
先生に相談しても、もう求人はほとんどない。
もともと進学予定だったから対策もしてない。
周りはどんどん進路が決まる。
考えが甘かったのか?
もっと確認するべきだった?
私が悪かったの?と絶望感。
この気持ちは何かに似ていた。
震災の時感じた無力感が
進路すら思い通りにできない自分と重なった。
「あー、もういいや」
(自分で稼いで進学する)
(この経験も夢を叶える一歩だ)
(何だってやってやる)
自衛官の願書はまだ間に合う。
まぁ倍率は高いけど、いけるはずだ。
そうして覚悟したのがこの道。
元女性自衛官の私は、
こうして女性自衛官になるのでした。
出発前の気持ちはコチラ↓を見てね◎
3.父親が見た景色を見たかった
苦労話や自慢話をあまりしない父でしたが
東日本大震災の時に初めて父親の背中を
頼もしいと感じました。
世間話や冗談を言い合う仲ではありませんが
母親にも言えない様な愚痴を、私が聞いてあげられる様になったら、あの時話してくれなかった話をいつかしてくれるのではないかとも思いました。
どうせ就職するならお金の為だけに働くより
知識と経験を積みたい。
人の役に立ちたい。
そんな使命感が当時の私の原動力でした。
(やるんだ。)
そういい聞かせて決めたこの道は
結局10年間の1本道になることになります。