たくさんの想いがあった自衛官時代。 10年間のうちの前半5年は私にとって とても長く苦しいものでした。 在職中、実は感情が湧かなかった時期が しばらくあり、自分には価値がないなと 思っていた時期があります。 当時女性自衛官が少なく、頼りになる女性の先輩はいましたが、管理職に女性隊員はいません。 自衛官は基本寮生活。プライベートと仕事はほぼ延長線上にあることが多い。 所属の場所は班が分かれていて、仕事以外の困った事や悩みを班長に報告して解決することになっています。
beauty Japan日本大会2022 グランドファイナリストの中村茜です。 元陸上自衛官として女性自衛官の紹介や 女性のセカンドキャリアについて話します◎ 今日は、私が陸上自衛隊で養った能力の1つ。 それに気付いたエピソードは あかねさんが書いてくれたnoteのこと 同じファイナリストに 高木あかねさんという方がいます↑ 生きるを伝えるセラピスト。 ガンサバイバーです。 実は名前も同じ「あかね」で 不思議なご縁がある方🙏💕 その場にいるだけでオーラを感じるし
こんにちは! beautyJapan日本大会2022 グランドファイナリストの中村茜です。 元陸上自衛官として女性自衛官のこと セカンドキャリアのことについて 発信しています。 どんな大会かは公式HPへ↓ さてさて。 男性隊員と女性隊員は新人の頃は性別を 分けて訓練します。 初日から完全集団生活。 私の時は部屋は8人部屋。 前期教育…3ヶ月(同性のみで受ける) 後期教育…3ヶ月(男女合同で受ける) 【前期は自衛官の基礎】 →「敬礼」とか「気を付け」とか。 戦闘
元陸上自衛官の中村茜です。 私は自衛官を辞めた事を心のどこかで 「リタイヤ」をしたと感じていました。 どこか劣等感を感じて一年を過ごしてきた。 でもどうせなら私だからできる事を 過去の経験を武器に重ねていく。 そしてできた道がbeauty Japan グランドファイナリストという道だ。 私にしか出来ないオンリーワンの発信をする。 記憶に新しい女性自衛官のセクハラ問題。 あの話が発信されて世には自衛隊批判が強まったと思う。私も憤りを感じた。まだまだ日本は、女性が活躍
1.帰ってきたけど... いつもの日常になってきた辺り 父は何もなかったように家にいた。笑 元からあまり話をしなかったし 私も部活で忙しかったので特に会話もなかった。 自慢げに災害派遣の話をしたり 苦労話をすることは一切なかった。 ただ当時よく流れていた「ACジャパン」のCMを軽くふざけて歌った時だけ、ビックリするほど怒鳴られたのを覚えてる。 歌と一緒に色んなことを 思い出してしまうんだろうなと 今になったら想像がつく。 それ以外は特に話をすることもなかった。 聞
1.あの日 2011年3月11日。 高校2年生。 当時テスト期間だった私は友達と マクドナルドでポテトを食べていた。 馬鹿みたいに笑ってたら、突然地震がきた。 お店はすぐに停電して、店内のラジオの音が変に響いて、なんか異様だった。 慌てても仕方ないと残ったポテトを食べて 駅に向かう。(食べたんかい!と今では思う笑) しばらくして季節外れの雪が降って来た。 もう地面の雪も溶けて春が近付いてたのに 何が起こってるんだろうと不安に駆られる。 電話が繋がらなくてしばらく途
時は遡って中学3年生の時。 本気で将来のことを考えていた時に 大好きな叔母がガンを患った。 鍼灸でガンの緩和ケアが出来る事をこの時知る。 そこから東洋医学に惹かれて 将来は女性に向けた鍼灸院をしたいと 思う様になっていった。 病からくる不調も美容もケア出来たら嬉しい。 とにかく、人の役に立ちたい。 そこから一貫して私の夢は鍼灸師だった。 高校はスポーツ推薦で普通科に進学。 将来は鍼灸科のある専門学校か 大学で東洋医学を学ぼうと思っていた。 しかし 高校卒業の年に
災害が発生した時。 陸上自衛隊の流れについて簡単にまとめると 自衛官は全て命令によって行動しています。 災害派遣も都道府県知事等に要請依頼を受け 被災地へ向かい支援をします。 依頼を受けるまでの空白の期間は 何をしているのか? 自衛隊さんいつまでもダラダラしてるんじゃ? って思うかもしれませんが実は違います◎ いつでも出発出来る様に【出動待機】として 各駐屯地でみんな、準備して待っています。 一般の公式の災害派遣って やっぱりイメージするのは男性。 でも女性もたくさ
先月、自衛官時代の後輩と先輩と ご飯を食べました。 仕事の話とかbeauty Japanの話を たくさんして充実した時間◎ 【辞めて後悔しましたか?】 確かそんな質問を後輩からされた。 あれ、自分から話したんだっけ? うろ覚えだけど良く聞かれる質問だし 自分で話してハッとしたからnoteに残しておく。 公務員してる人も。 サラリーマンの人も。 安定を捨てようとする全ての人に言う。 よく聞いて欲しい。 強めの口調で後輩に話す自分に少し笑った。 あ、後悔してたんだ、私。
って今朝旦那に言われた。 我が家は優しい旦那様がいます。 職場恋愛だったので旦那も自衛官。 現役時代はお互い協力して仕事をこなしました。 家事も育児も仕事も負担は同じ。 退職を決めた時も背中を押してくれた。 すごく忙しいのに今もbeauty Japanの サポートしてくれて応援してくれる。 そんな一コマを記そうと思う。 1.茜、定期的にメンヘラになる。 プレゼン動画も思った様に作れなくて ていうか、動画ってお金がかかる。 時間も労力もすごい。 私、ほんとに要領悪い
お久しぶりです◎ 今日からnoteを毎日更新したいなぁ。 溜まっていた想いを少しずつ記します。 1.東北大会で感じたこと 地方大会当日。 自衛官時代の話から辛かったこと 乗り越えた経験とこれからの話を 男女平等について沿って伝えた3分間スピーチ。 女性の方からは 「良かった。共感した。」 そんな言葉を頂き、男性の方からは 「なぜ自衛隊に入ったの?」 「どうしてそう感じたの?」 「なんか伝わり辛かった。」 そんな感想を頂き、正直戸惑った。 なんでそんなこと言うの
ミスコンだったのか、、、 日本大会決まったけど私、場違いだったかも。 beautyJapan東北大会での入賞を目指していた私は、準グランプリを受賞して、あっさり燃え尽き症候群になった。 そして本業で失敗する。笑 開店スタート時に大会に全力を出し過ぎて パワーバランスを崩して愚かにしてしまった。 過去のキャリアから伝えたい事がありすぎて、自衛官として出場したから、beautyJapanの活動がまったく本業の整体に結びつかなかったのである。笑 そんなのは承知だった。
1. 1stインスペクションが開催 大会パンフレットの撮影や概要説明 お寺のお話や講義等などを山梨県見延市にて開催 詳細をお話しする前に今回は ここまでの経緯を軽く記します。 東北の地方大会は宮城県のアーリー迎賓館さん にて6月に実施されました。 私は迷彩服を着て、出場しました。 (元自衛官だけど) 男女平等だからと男性に平等を求めるのではなく女性自ら自分を尊重して人生に価値を見出していく。 ぶつかり主張し合うことではなくて、お互いの違いを認め合い尊重し合うこと
陸上自衛官だった私が退職を決意し 現在は自宅で整体サロンをしています。 岩手県ではまだやってる人のいない 美彫骨整体というメソッドを取り入れた 女性の為の整体サロンです。 駆け出しの未熟な私だけど過去の経歴では 陸上自衛官として10年務めました。 2人の子宝にも恵まれました。 色々あったけど充実した在職期間。 そこで感じた男女平等について書きます。 皆さん、夢は持っていましたか? 世間的には夢を持つことは 良いことと思われてると思う。 目標を持ちなさい。 夢を叶えなさい