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こんにちは、といと申します。 初めましての方、ようこそいらっしゃいました。 といさん知ってるよーの方、いつもありがとうございます。 1.自己紹介 2024年7月27日にnote1周年を迎えたので、自己紹介を新しくすることにしました。 とはいえ、1年目の自己紹介で結構語ってますので、初めましての方はぜひこちらをお読みください。 お時間のない方は、下記だけ押さえておいていただければ大丈夫ですw ・中学校で国語を教えていて、今年は1年生の担任&学年主任 ・会社員、派遣社員を
➖Mothers Earth➖ 地球 のことをそのように呼びます 地球そのものが 母 で在れば それは 女性 神社 は 女性の體 を表しています 地球の中で生きる 生命 とは 母なる地球から産まれた子供たち そして 女性の中で 祝福を感じ 感謝に浸る 歓喜の男性 神社の中を歩く 生命 とは 母なる神社から産まれた子供たち そして 女性の中で 祝福を感じ 感謝に浸る 歓喜の男性 “空のエネルギー“そのものである この“空氣“の中に
《統合》 という言葉に対して 僕の感覺として “完璧さ“ を持っていました 対極のものが“完璧に“合致する のようなイメージです それは たとえば 人との統合でも 個人の中の男性原理と女性原理の統合でも 大人の自分と子供の自分の統合でも 陰陽の統合でも そこに“完全な確定“を見ていたんです 思うのは 限りのない発展を目指すのが宇宙 であるならば 完璧な発展を遂げた時とはゴールで その時そこに 限りはある となります 限りのない発展 という宇宙の大前
この女性原理の叫ばれる時代にあって 僕は男性原理を思うのです 僕の思う男性原理とは 一言で言うなら 【見えない世界】 それは 心の中 や 魂の世界観 や 天界・宇宙 や 神々・天使 など 森羅万象の中の【見えない世界】を指して その全てが男性原理だと思っています ポジティブな 幸せを思う志 も 幸せの為の心意氣 も ネガティヴな 不条理に哀しむ思いと考察 も 不都合に怒れる感情 も それらは【見えない世界】のものであり 僕としては男性原
在我尊(ありがとう)を思う時 去來する思いの中に 哀しみや怒りがあります 僕の場合 しばらくすると 必ず表れる心の現象です 今までは この去來した心の嵐に負けました ふと思い出す ごめんなさいの後に ほんの少しだけ残るのが 在我尊(ありがとう) 僕が今 思うのは 自分が自分を赦す為の ごめんなさい 納得するまで ごめんなさい ようやく 自分が自分を赦す時 そこに残るのが 在我尊(ありがとう) 人としての吾 吾としての個性ある面(かお) そのような 人としての謝
名前の未だ無い赤ちゃんとして生まれた時 私の愛を語らなくとも 赤ちゃんは愛を100%表現しております 私の表現に拘り始めた時 オリジナルになろうと 自己表現に拘る時 純度100%の愛は恋へと変容します それは 他者や何かへの外への恋を通しての 自分自身への恋なのです ですから 自分の表現をしたい時 それは ナルシシズムとなるです そのような自分が恋人という表現者に 愛ある者は身を引きます 『素敵な恋人さんとお幸せに❣️☺️』 愛ある者たちは遠ざかり 恋する者たち
全方位拒絶の日々 から一転 全方位感謝の日常 を送り行く中で、 いわゆる 不幸な人達とお話しをすると 不足ばかりにフォーカスがいっていることに氣が付きました。 失敗の前例を丹念に並べて・・・ 『だから自分は(幸せになることを)やらない』 とか。 至らぬ自分の不足(欠点)を見つめ・・・ 『だから自分は使えないので自己嫌悪』 とか。 そのような時は誰しも在るのだと思うのです。 しかしながら 自身の不幸な状態を嘆く人達とは 何年も何十年も その不幸な状態を保
理由(マインド)を超えて ありがとう(スピリット) 自分を超えて 全てがありがとう 全方位拒絶(マインド) から 全方位感謝(スピリット) へ 祭統 白宇 SHIR㊉W
【無償の愛】という言葉。 その対極として僕は居りました。 【無償の拒絶】としての僕。 これをもって【闇】なのだ と僕の使う言葉の意味もようやく解明💡 【闇】に居れば色も見えない。 色は光の反射ですから。 【漆黒の闇】としての【無償の拒絶】 【彩色の光】としての【無償の愛】 【無償の愛】を【無条件の受容】とするのなら、 やはり僕は 【無価値観】をさらに超えた【無償の拒絶】をしていたのだな、と実感するのです。 【無価値観】を持っている場合、 たとえば 好きでもない仕
愛 幸 不幸 とは三巴です。 両翼(ニ)だけあっても 飛べないのですね。 眞ん中に本体が無ければ 両翼の眞価は発揮でき得ません。 本体と両翼があればこそ 自由に空を飛べます。 子供にエサを運べます。 三巴とは三位一体のこと。 コインの裏に不幸が在れば コインの表に幸せが在ります。 表裏在るコインには 必ず“高さ“という本体が在るのです。 この【“高さ“こそ愛】です。 一番目立たないけれど 高さこそ表と裏という両翼の本体です。 大事なもの程、見えにくいのです。 つま
魂が本質で 魂が天に帰るのなら、 僕らのホームは天ですね🏠 古事記とは 天の神々が地上に降りて 人間生活を送った記憶です。 文字を連ねただけの“記録“ではない。 血湧き肉躍り心跳ねるエランヴィタール。 そのような 掛け替えのない思い出という記憶です。 神は魂です。 その魂が人間生活を送った。 これというのは 今を生きている僕ら人間と同じことですよね。 古事記とは 神々という他者の記憶ではないのです。 僕達自身の記憶です。 自分事として思い出すように受け容れる時、 血湧き
『自分を幸せにしてやろう』 『自分に体験させてあげよう』 という言い回しを僕が知る目覚めている人はよく使います。 “幸せにしてやろう“とは志。 “体験させてあげよう“とは志。 その志は誰の為か。 それは 現実の自分ですね。 目に見える現実とは女性性(八・地)です。 現実に生きている現象としての自分(女性性)を “幸せにしてやろう“と思うその目には見えない志が男性性(三・天)です。 このことからも 天の目には見えない存在(神々や仏や天使たち)は 地球で現実に現れている(
他者への怒りを思う時、 自分の不快感を忘れ(そのままにして) 他者への不満を思考し続ける。 怒りでトランス状態に。 そしてそれは持続する。 この時、 僕は一時的に《怒る人という役》に入り込む【名女優】になる。 他者への感謝を思う時、 自分の心の心地良さ(快)を感じながら 他者への感謝を思い続ける。 しかし その快は持続しない。 だからこそ できる限りの感謝できる対象を見つけようとする不断の努力が必要となる。 この意識が 一時的な《感謝する人という役》に入りながらも舞台のスト