嫌なこと思い出して反省会しちゃうのも記憶力良すぎちゃうせい
失敗したことや他人に言われた言葉を思い出して、頭の中ぐるぐるしちゃうことありますよね。私もそんなことで悩んでいたときに、『思考の整理学』で有名な外山滋比古さんの本の、『乱読のセレンディピティ』を読みました。
なんとなく「セレンディピティ」の言葉に惹かれて買った本でしたが、語りかけてくれる文章で、タイトルのいかつさから想像もしない読みやすさでした。テクニックが載ってる系のビジネス本でもなく、少しエッセイっぽさもあり、人生の大先輩のアドバイスを聞かせてもらっているような本でした。
外山さんは本の中で、「本は全部読み切らなくてもいい」「最後まで読んだ本が一冊もなくてもいい」と書いています。
本を書く側の人が「読み切らなくていい」とすっぱり言い切れるのは、「本をたくさん読む」ことが本質ではなく、「本から何かを得る」ことが、本を読むことの"本質"だと理解されているからではないでしょうか。
忘却は素晴らしいシステム
前置きが長くなりましたが、本の中で「忘れる」ことの大事さを語られています。現代の学校教育では「正解を覚えることがよい」のような風潮がありますが、むしろ綺麗さっぱり忘れられることも大事な能力です。
本などで知識ばかり得ても、知識過多となり、知的メタボリックシンドロームになる。だから、脳が勝手に忘れてくれて、メタボにならないようにしてくれる。
学校教育での「よく覚える子は優秀、忘れる子はダメ」といったような価値観は少し古くなっているようにも思います。というのも、コンピューターやAIが登場し、ただの「知識のある人」はそこまで必需ではなくなっています。
「忘れること」の話を読み、別のところで見た、現代人のストレス要因はたいてい「考えすぎか、食べ過ぎ」という話を思い出しました。
現代のストレス原因の一因は「しっかり覚えてしまっていること」でもある気がします。「あの人のああいう言動が嫌だったな」とか「あの時ああすればよかった、失敗したな」とか、後から思い出して苛立ったり、落ち込んだりして、記憶について考えすぎてしまう。
記憶力が良すぎるあまり、思い出してストレスになる…のループを繰り返してしまいます。
忘れるためにはどうする?
外山さんはとにかく散歩が良い、と本の中で推しています。散歩してなければ健康に過ごせなかったとも言っています。
忘れるための一つの手法として、散歩は有効です。散歩に限らず、体を動かすことで、一度頭をリセットすることで良い影響がもたらされます。
たとえば、勉強だけしている子よりも、勉強、スポーツ両方をバランス良くやっている方が、実は成績が良い人は、勉強とスポーツでうまく頭を切り替えて使っているのです。
私は運動部に入っていたこともなく、元々あまりスポーツなどはしないタイプなのですが、最近登山(低山限定ですが)に行くようになり、身体を動かすのって良いなと思い始めています。
仕事は頭を使う系の仕事のため、仕事中は何も考えないことができないので、「何も考えない」時間が実は貴重だったりします。登山で登りのキツいうちは、辛くて何も考えられないので、それが私にとっては結構リフレッシュになっています。
考えすぎの頭をリセットできるなら、「忘れる」ための手段はなんでもよいですが、できるだけ頭を使わないことがおすすめです。
本を読むの場合、何もかも忘れられるくらい、熱中できる本なら良いですが、考える余白があると本の内容に関係ないことが頭をよぎってしまい、結局考えてしまうので、少し注意です…(経験者)
良いセレンディピティに出会う
「セレンディピティ」は、「偶然の産物」などと訳されたりしますが、科学的な発見なんかは、けっこうセレンディピティだったりします。例えば、イルカが音波でコミュニケーションしていることやペニシリンの発見など、今まで分からなかったことも偶然に判明したものです。
意外と、偶然の力が人生を変えることが多いので、興味のあることは、どんな形でもいいから首を突っ込んでおくといい、と外山さんも書かれてします。確かに、私も何か上手くいったなということも、たまたまのことや偶然の出来事が引き起こしてるなぁと思います。
セレンディピティは作れるものか?というと、偶然を意図的に作り出すことは難しいです。ただ、確率を上げるための行動はできます。例えば、とりあえず首を突っ込む、行動してみる、など、やっていると確率は次第に上がります。
また、セレンディピティの一種として、新たな気づきや発想を得ることもあります。今までにない新しいアイデアや組み合わせ方など、質の高いセレンディピティを得られるときは、ごちゃごちゃしたカオスなものたちを「忘れる」ことの先にあるような気がします。時間をかけて考えても、思い付かないものは思い付かないので…。
ふっと閃いたことが人生変えたり、予期しないものを運んでくることもあります。そういう小さな種を逃さないように生きていきたいですね。
なんでもすぐ忘れて、いい加減に気軽に生きるくらいの方が、本来の人間の生き方としては、ちょうどよいのかなーと思います。自分一人で考えすぎても悪い方向にしか行かないことも多いですからね。ふっと肩の力を抜いて生きる。そんな生き方ができると良いのではないでしょうか。
と、言いつつ、私自身を含めて考えすぎちゃうのがデフォルトの人間にはなかなかすぐには難しいですが…。もう少し、気軽でもいいんだとまず知ることがスタートですね。少しずつ意識すれば、時間はかかりますが、意識、行動が変わっていけると思います。共に取り組んでいきましょうね!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
salar