世界は成立しているコトガラの総体である
鳴鹿堰でぼーっとしてたら論考的気分がわかった気がした。木とか、山とか、川とか、水とか、風とか、鳥とか、橋とか、河原とか、そういうものの来歴。いまそうあるってだけでなくて、こうあってもおかしくなかった、こうなるならこうなる、っていう傾向・可能性。そういうもんの総体がこの世界なんやな的アニミズム的気分。
この世界のモノ・コトガラは、意識ある観察者の有無にかかわらず「こうだったからこう」「こうでなかったからこうでない」っていう傾向・可能性をもったものとしてある。
そういう意