うつ病体験
「うつ病体験記と思ったこと」
皆様こんにちは、私はサラダボウルのブログを書いている。
“とんこつ”というものです。双極性感情障害というものを患っています。
すでにご存じの方もいるかと思いますが、うつ病には、急性期、回復期、寛解期
などがあります。そんな中から私が感じたエピソードをお話したいと思います。
何かの役に立てれば幸いです。
まずは、急性期だったころのお話。
私を悩ませたのは、不眠、幻覚、幻聴、被害妄想、何をしても辛いという
症状でした。幻覚や幻聴が被害妄想を大きなものにしていました。
ニュースが怖くてTVから逃げていたり、
母親が私の命を狙ってると感じていたり、新聞は障害者用の新聞かと思うくらい
嘘がかかれていたり、1人になって文章を書いていたのですが、
町内の人が私を逃さないよう見張ってる、指示を出してるのは父でラスボスは
母だ、などという被害妄想になやまされていました。
そん中、親が借りてくれたアパートに一人暮らしをしていて、
食事の時に両親の家に行き、食事を一緒に食べるという行為を続けていました。
そのころは、父も母も病気の事は、あまり話さなかったと思います。
そんな私を週1くらいのペースで、あしたか公園に連れてってくれました。
自然を見て感動したりなどはないのですが、食事のために日に3回、外出する行為と、
週1で遠隔地に出かける日々は、自閉状態だった私をある意味、強制的に外出に
誘うことになったと思います。他にも近所の散歩など、とにかくよく外出してました。
それが私の自閉気味の状態を改善に導いてくれたと思います。
晴れない雨がないように、私にも春はやってきました。回復期です。
私の場合、漫画やゲームが好きで、また外出に慣らされてたこともあり、
いつしか、ブックオフに通うようになっていました。
欲しい漫画や欲しいゲームを買う。お金はあんまりかからないように中古のものを
買います。家ではずっとゲームをしたり、アニメをみたりして、疲れたら寝て、
それと、両親との食事3回は続いていました。
このころには、最初の被害妄想はなくなっていました。
未だに幻聴には悩まされますが、急性期の時と比べてずいぶんマシになったと思います。
これは私の持論になりますが、うつ病になった人に序盤に必要なものは、
絶対的な安心感(何もしなくて良いんだという安心感)と自閉症からの脱出
(狭い世界に閉じこもらない)だと思います。
次は、回復期の話。
回復の大きなきっかけになったのは、デイケアの存在でした。
私は1年ほどデイケアのお世話になるのですが、沼津まで自転車で通った
あの日々、デイケアで出会った仲間など、それらは私を明るくしてくれたと
思っています。問題は、デイケアのスケジュールが1年であとは繰り返しに
なるところでした。
就職問題。
元気になったのだから、就職活動を始めます。
悩ましいのはクローズ(病気を隠して就活)が現実的に思えたことでした。
この病気を理解してくれる会社は少ないと感じていたからでした。
私の親は、経験職がうつ病の原因になったと感じていて、経験職への応募をしないと
約束していました。これが足かせになり、仕事はほとんど見つからず、
アルバイトをするのですが長くは続きませんでした。
当時、嫌だった言葉があります。
「いつ就職するんだ」「親がいなくなったらどうするつもりだ」です。
いまでもその言葉は嫌いです。
今は、サラダボウルでスキルを身につけ、請負の仕事などが出来るように
なること、ピア・スタッフの請負をするのが夢です。