映画『EO イーオー』をみる。
ロバが主演の映画なんて、果たしてあり得るんですか!?
あり得るんだなコレが。『レッド・ロケット』以来のシネ・リーブル梅田。鬼才イエジー・スコリモフスキ監督最新作、某局ラジオ番組で宇多丸さんに先を越されましたがこの度迎え撃ちます。『私、オルガ・へプナロヴァー』との抱き合わせ企画とあって上演前から身の置き所がない、今年度最大級の落差にやられてしまいそうなGW明け初めての金曜日。期待値MAX。
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1966年仏・瑞合作映画『バルタザールどこへ行く』(ロベール・ブレッソン)に着想を得た逸品。慣れ親しんだサーカス団から連れ出され予期せぬ放浪旅を余儀なくされた灰色のロバ・イーオー、馬のいななきを表す擬音語「EO」がロバの名前にあてられている点も興味深い部分。しばしば馬と比較され、劣者として無価値なものとしてあるいは「愚か者」として扱われてきた。
当然ながら、彼は言葉を話しません。人語の吹き替えがあてられる訳でも、また人々が彼の心の内を代弁する訳でもない。つまりイノセントな眼差しと鼻息の強弱から、観客はその「一端に触れる」ことのみ許される。臆病にも勇敢にも映るイーオーの演技は本当に圧巻で、かといって無垢なロバさんに癒されようと劇場へ足を運んだ方にとっては相当面食らう内容だったかも。
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インドに「ロバは叩いても馬にはならぬ」という諺があるそうです。冒頭、スクラップの山を掻き分けるように走るイーオーの姿が思い起こされます。しかしヒロインのカサンドラ(サンドラ・ジマルスカ)でさえ一歩舞台の外へ出れば迫害の対象になる。スコリモフスキ自身も若い頃に政治的弾圧を受けた経験を持っており、何かそうした悲喜交々が作品性に反映されている。
単なる胸糞映画/トラウマ体験かというとそれも違う。まあ散々な目に遭うのですけど、どこか救いを感じられたり人の温かみに触れられる瞬間があって、それでも善意と悪意に振り回されている事実に変わりはない。動物愛護思想に対する強烈なカウンターも含めて良作でした。例えば主宰は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』をハッピーエンドだと捉えている派だったりする。
キリスト教のモチーフについて。本作終盤、唐突に現れたイタリア人司祭と伯爵未亡人。あのシークエンスには一体何の意味があったのか、そう感じた方も少なくなかったはずです。主宰も若干、頭パニックになりましたから。後々思い返してみれば、そもそも『バルタザール〜』は東方三博士の名前に由来しますし、イエス・キリストはロバに乗ってエルサレムへと入城した。
冒頭のサーカスが「復活」のシーンから始まったのも、食肉加工場へ向かう動物達の長い行列がさながら「ゴルゴダの丘への行進」のようだったのも。本作を印象付ける強烈な赤と川を下るドローン映像が、あたかも「血管」のように見えたのはひょっとすると「十字架の血」のメタファーだったのか。宇多丸さんがラジオで指摘された「七つの大罪」論にも非常に合点が行く。
印象的なシーンはいくつもありますが、例えば彼が牧場フェンスを伝う働きアリを貪り食うシーン。まさかラストシーンに繋がる伏線だったとは思いもよらず。カサンドラと無事感動の再会を果たせましためでたしめでたしではファンタジーになってしまう。「食物連鎖には抗えない」という落とし所を見つけ出すあたりさすがリアリスト、スコリモフスキ節だと感じました。
劇伴も凄い。スコリモフスキ長年のパートナー、パヴェウ・ムィキェティンの生み出すオペラ音楽が劇場をミシミシいわせる。ラウドネス高め、それもひとえに聴覚の優れたロバ達の世界を疑似体験させる仕掛けだったのかも。「動物の心理に入り込み、人間と動物との関係性を変容する」本作のテーマとして、監督がインタビューで述べていた部分とも重なる。
タコちゃん、マリエッタちゃん、オラちゃん、ロッコちゃん、メラちゃんそしてエットーレちゃん。前代未聞のセクスタプル(6匹)キャストでお送りする本作ですが、皆さんの推しメンはどの子でしたか。イニシェリン島、小さき麦の花、そして逆転のトライアングルと映画界は未だかつてないほどのロバブームを迎えております。これからもますます動向から目が離せません。
お昼ご飯はカツ丼の予定にしていましたが、ざる蕎麦にしました。しばらくサラミ食べるのも無理そうだ…しかもこの後シリアルキラーの映画観るんだよなワタクシ…等々色んな思いが去来する、今日はヘビーな1日になるやで。舞台はポーランドからアルプス山脈を越えてイタリア、そして最終目的地の1973年・チェコスロバキアへと移ってまいります。次回へ続く。