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虎に翼113話(重遠の孫)

寅子「よろしいでしょうか?
鑑定人は米国にも国にも賠償責任求められない場合「今」苦しんでいる被爆者はどこに助けを求めればよいとお考えですか?」

嘉納法学者として
お答えできることはありません」

(これが「公式見解」だ。
「心情」は公の場では出さず、
アフターで吐露する)

嘉納「被爆者の方々には
同情するが
賠償権が存在するとは
到底言い難い。
政府による別の救済方法
考えるべきだと思うがね」

反町「この法廷で争われている点はそこではありません。
被爆者個人への同情から、
国際法を拡大解釈する
わけにはいかない。
法は法それだけです」

嘉納「お互い 結構なものを
背負わされてるね」

("背負わされてるもの"は
『国の威信』
反町嘉納も背負う事で
食い扶持ステイタスを得ている。
自覚違和感を持ちながら、
そういうもの として
受け入れている。

こころがない訳では無い。
スイッチ切っているだけ

これが「司法裁判」の現状。
「代議民主主義」の質。

「家族裁判」"アフター"から始まっていなかっただろうか?
嘉納反町の本音を巻き込んでのやり取りが出来れば、「家族裁判」のような"心の融合"を齎(もたら)す。それを目指しているのが
「ピア政治」「ピア裁判」だろう)

   ・・・・・

航一「その記事 僕も読みました。胸の内にためているもの
裁判官ではなく 夫の僕に
少し分けてくれないかな」

寅子「法的に原告の方々の
損害賠償請求権を認めることは難しい
でも本当にそれでいいのか?
自分に何ができるのか?
考えても考えても分からなくて」

(ここにも"アフター"があった。
この"こころ"を公開して
混ぜ合わせる事が、
何故出来ないのだろうか⁇?)

桂場「昨日 来客があってな。
直接は言わないが
言外にたっぷりと
におわせてきた。
原爆裁判 速やか
裁判を終わらせろと」

寅子「このところ
考えてしまうんです。
法をつかさどる自分の
無力さ 限界を」

桂場司法何ができるのか
そのことだけ考えろ」

(桂場は、判事さえ
背負うもの無しであればよい、
と考えている)

   ・・・・・

寅子が思い悩み 落ち込む時
相変わらず航ー
黙ってただ同じ場所に
いてくれます。

寅子「被害者本人
法廷に立つ意味って何かしらね」

航一「裁判官の心証
影響を及ぼすかもしれない
(・・心象心証になる・・)
でもそのかわり...」

寅子好奇の目にさらされて
確実に傷付くことになる。
なぜ いつも
国家の名の下に個人
苦しまなければならないのか」

   ・・・・・

("公"とは
ひとり一人の心象世界から
立ち上がりながら、
構造化する事で力を持ち、
個々の心象世界を逆規定し、
あるいは切り捨てるもの
なのだろうか。
包み込んでいく事の出来る
"公"は可能だろうか?
「背負うもののない 平等な個」
からならば、出来そうだ。

傍聴席がいっぱいになったのは良かったが、女性は二人だけ??)

   ・・・・・

百合「大変!大変よ!誰か!どうしましょう。お財布がないのよ。」

航一百合さん座っていてください」
寅子「捜しますから」

   ・・・・・

吉本「あらちょっと 百合さん駄目!」
優未「何 どうしたの?」

吉本百合さんがね お夕飯用に作ったシチューが腐ってるって」
百合「だって腐ってるじゃない!」

優未「おばあちゃん 汚れてるよ」
百合触らないでよ!」
吉本優未ちゃん 大丈夫?」

優未「落ち着け 深呼吸…」
(優三 憑依)

優未してるの?」
のどか「何か取り込み中みたいだったから」
優未「だから助けに来ないで隠れてたの?」

百合のどかさんは いいんです。
立派な大学を出て
毎日 銀行にお勤めして
自慢の孫だわ。
きっとおじい様も照子さんも
鼻高々よ」

のどか「2人が生きていたら
美大はやめておきなさい』
なんて言わなかったよ。
英文科に行って
つまらな〜い日々を送って
勤めても 毎日お茶をいれるだけ。ハハ・・・
決めたのは 確かに私だよ?
こうして望みどおりに
進んでるんだから
これ以上 私に求めないでほしい」

優未「バカ!バカ!バカ!」
(よね 憑依)
のどか「やめて!
ちょっとすんの!」

吉本優未ちゃん!
のどかさん 大丈夫ですか?」

   ・・・・・

他者に背負わされたものでなくても、自分で勝手に背負い込んでいるものもある。
他人のせいにしても、
始まりはしない。
「地獄」「天国」かは、
だれか他人
決めているのだろうか⁇?


財布を探し シチューを捨てる
百合「錯乱」
それに寄り添い 抗う
寅子〜のどか

"公"の枠から取りこぼされた
被爆者に寄り添おうとする
岩居〜寅子
抗う反町、嘉納

「常識」という想定や、
「法」という想定の
"正常範囲"から外れる事象を
受け入れるには、
「常識」「法」の側の
変容が求められる。

   ・・・・・

吉田さんが  とは言わないとしても、てんこ盛りでありすぎる。
そうしないと済まない気持ちの背景には、逆に 時代の未充足の"欠如意識"があるような気がする。
          光

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