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虎に翼 番外編8(重遠の孫)

慣習法(水源の様なもの?)は、人間の無意識の  生物としての傾向を反映していた。
成文法(校則の様なもの?)としての体系化は、人間の「意識」と「知性」によって、観念的整合性を築いてきた。

脳科学(=神経科学)の発展によって、人間の「意識」「知性」…の実態が「啓蒙思想」のそれとは著しく異なる事が、明らかに成りつつある。

人類が 安心して乗る事の出来る 大船の様な法体系は、生物としての人間の性向、脳 神経系の反応様式に即応する物として、構想されなければならない。

サポルスキーの妄想は、「狂気」であるよりは、「正気」であるようだ。
       光

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「善と悪の生物学」第16章
「生物学、刑事司法制度、そして(もちろん)自由意志」より

「数年前、ある基金がいろんな人に手紙を送って、基金が資金提供する新しい構想にふさわしい壮大な計画を求めた。手紙には『正気でないと思われるからほかの基金には提案したことがない、刺激的なアイデアを送ってほしい』というようなことが書かれていた。
おもしろそうだ。そこで私は『刑事司法制度を廃止すべきか?』というタイトルの提案書を送った。答えはイエスだと私は主張した。制度は意味がないことを神経科学が示しているので、廃止を実現するための構想に資金を提供するべきだ、と。
『おもしろい』と彼らは笑った。『うん、これを求めていたのだ。確実に私たちの目にとまった。神経科学と法律の相互作用に焦点を合わせるのはすばらしいアイデアだ。会議を開こう』
そして私は、数人の神経科学者と法律関係者〜法学教授、判事、犯罪学者〜との会議に出向いた。私たちは互いの用語を学んだ。たとえば、神経科学者と法律関係者では『possible(可能な)』『probable(ありそうな、蓋然的な、相当な)』『certainty(確実性)』の使い方がどうちがうかを確認した。私を含めてほとんどの神経科学者は、法律用語の働きを知らず、法律関係者のほとんどは、中学三年の生物学のトラウマで科学を避けてきたことがわかった。そんな両者の文化的問題にもかかわらず、そこでありとあらゆる協力が始まり、やがて『神経法学』を研究する人びとのネットワークに成長した。
楽しく、刺激的な、学際的でハイブリッドな活気にあふれている。それでも私にとってはもどかしい。なぜなら、提案書のタイトルは本気だったからだ。現行の刑事司法制度を廃止して、現行制度とおおまかには共通の要素があるものの、基盤はまったく異なるもの(具体的には、危険な人をほかのみんなから遠ざけておくこと)に置きかえる必要がある。私はそのことを、読者に納得してもらおうと試みるつもりだ。それは本章の前半にすぎない。
刑事司法制度には改革が必要であり、それには法廷に似非科学でなく科学を取り込むべきだと主張することは、それほど物議をすことではない。ほかはともかく、次の数字を考えてほしい。NPO団体イノセンス・プロジェクトによると、平均14年服役している350人近くの死刑囚のうち、20人がDNA指紋法[DNAを使った個体識別]によって容疑を晴らしている。」(「善と悪の生物学」ロバート・M・サポルスキー著NHK出版  第16章より)

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