『マクベス』第二幕第三場・第三幕第一場・第二場
【二幕三場】
マクベス夫人 何ごとです、朝から?[…]
マクダフ ご婦人にお聞かせできることではない。[…]
おお、バンクォー、バンクォー、陛下が殺された!
マクベス夫人 何ですって! 私どもの邸で?
バンクォー どこであろうと残酷ではないか。頼むマクダフ、
嘘だと言ってくれ、まちがいだったと。
マクベス いっそこの惨事の一時間前に死んでいれば
幸せな人生だった。今この時から、
人の世に生きるに値するものは何もない。
すべてはがらくた、名誉も美徳も死んだ。
いのちの酒は尽き、この世という酒蔵には
とるにたらぬ滓ばかりだ。[…]
ああ、しかし早まった、怒りのあまり
あのお付きの者どもを殺してしまった。(一同絶句。)
……目の前に王が横たわっているのだぞ、
白銀の肌に黄金の血の糸を引いて、[…]
そのそばに、人殺しどもが、
おのれの流した血に染まり、剣も血糊を穿いたままだ。
王に忠義あり、また忠義を示す胆力ある者ならば、
誰がためらうだろうか?
マクベス夫人 わたし、倒れそう、ああ!
マクダフ 奥方が! 誰か介抱を!
マルカム (ドナルベインに傍白)なぜ黙っている、われわれは?
この騒ぎの当事者ではないか。
ドナルベイン (マルカムに傍白)でも何が言えます、
今ここで、運命が錐の穴を突いて
襲いかかろうとしているこの場で。逃げましょう。
まだ涙も湧かない。
マルカム 胸を圧する悲しみも
動き出さない。
バンクォー 奥方が! 誰か介抱を![…]
マルカム どうする? あの連中からは離れよう、
心にもない悲しみを示すのは、裏切り者の
得意技だ。わたしはイングランドへ行く、
ドナルベイン わたしはアイルランドへ。別行動のほうが
おたがい安全です。ここでは微笑のかげに
短剣がひそんでいます。血縁の近い順に
血を流す危険も高い。
マルカム […]馬を出そう、
気取っていとまごいなどしている場合ではない、
すぐに発とう。非礼もこのさい許されよう、
許しがたい非道の場を辞するのだから。(王子たち退場。)
【三幕一場】
マクベス このままでは安心できない、安心が続かなければ。
バンクォーの生きている一瞬一瞬が刃となって
おれの心臓のぎりぎりのところを突いてくる。[…]
あの男は、魔女どもがはじめておれを王と呼んだとき、
叱りつけて自分にも言えと命じた、するとやつらは
予言者きどりで代々の国王の父と呼びかけた。
おれの頭には花の咲かぬ王冠を載せ、
おれの手には実らぬ王笏を握らせ、
それを血のつながりのない手にもぎとらせて、
おれの子には継がせないのか。そうなら、
バンクォーの子孫のためにおれは魂を穢し、
慈悲ぶかいダンカンを殺したことになる。
心の平安という器に憎しみを盛ったのも
バンクォーの子孫のため、永遠のいのちという宝石を
万人に仇なす悪魔に売りわたしたのも
やつらを、バンクォーの子孫を、王にするためだったのか!
そうはさせるか。[…]
いいかバンクォー、きさまの魂は
今夜飛び立つ、天国を見つけるがいい!(退場。)
【三幕二場】
マクベス夫人 みんな無意味、みんな無駄、
望みをとげても満たされない。
殺されたほうが安心ね、
殺して、おびえながら生きるよりは。
(マクベス登場。)
どうなさったの、あなた、なぜずっとお一人で、
つらいもの思いにふけっているの?[…]
とりかえしのつかないことは考えないようにしなくては、
すんだことはすんだことでしょう。
マクベス おれたちは蛇を斬ったが、息の根を止めてはいない。[…]
マクベス夫人 やめて、あなた、
そんなにけわしいお顔をなさらないで、明るく、楽しくね、
今夜はお客様がたが……[…]
マクベス おれの心には蠍がひしめいているのだ、
バンクォーも、フリーアンスも、生きているからな。
マクベス夫人 でも、いのちには限りがあるものよ。
マクベス そう、ありがたい話だ、やつらも殺せば死ぬ。
だから今夜は楽しんでくれ。[…]何かが起こるはずだ、
恐ろしくなくもないことが。
マクベス夫人 どんなこと?
マクベス おまえは知らないままでいてくれ、いい子だから。
あとで拍手してもらおう。[…]暗くなってきたな、からすも
ねぐらの森に帰っていく。[…]
そう不思議そうな顔をするな。落ちついているがいい、
悪事の始末には、悪事を重ねるしかない。
さあ、行こう。(両人退場。)