『マクベス』第一幕第六場・第七場・第二幕第一場
【第一幕第六場】
ダンカン じつに心もちのよい所だな、この城は。
風はさわやかに甘く、われらの五感を
なごませてくれる。
バンクォー そこに夏の客、
よく礼拝堂に巣をかけるイワツバメです、
あれもここを気に入っているらしい、かぐわしい
天の息吹きに誘われたにちがいありません。[…]
ダンカン やや、奥方が。
マクベス夫人 […]わたくしどものご奉公、
その一つ一つを倍に、なお倍にいたしましても、
とうてい足りませぬ、陛下から賜りましたご恩の
深さ広さに比べれば。かねてよりの御覚え、
さらにはこのたびの恩賞、ただただありがたく、
伏して祈るばかりでございます。[…]
ダンカン さ、お手を。
主どののところへ案内していただこうか。あれは愛いやつだ、
これからも目をかけてやりたいと思うておる。みめ麗しき奥方、
今宵は世話になりますぞ。(一同退場。)
【一幕七場】
マクベス 終わらせて、終わるものなら、
早く終わらせるがいい。暗殺が
一切合切をからめとり、やつの死で
成功がつかめるのなら、この一撃で
すべて終わりにできるなら、今ここで、
そう、今ここで、時の浅瀬のこちら側でだ、
それならあの世などどうでもいい。だが、
こういうことにはこの世で裁きがあるものだ、
血を見せればかならず返り血を浴びる。
天網恢恢、酒に毒を仕込んだ者は、その杯を
みずからあおるはめになる。[…]
(マクベス夫人登場。) どうした、何かあったか?
マクベス夫人 王のお食事が終わるというのに、どうして外に?
マクベス おれをお呼びか?
マクベス夫人 もちろんお呼びよ。
マクベス 例の話はもう止めにしないか。
おれは昇進させてもらったばかりだし、
あらゆる方面から黄金の評判をかち得ている、
おろしたての晴れ着をろくに着もしないで
脱ぎ捨てるにはしのびない。
マクベス夫人 あの望みのほうはしっかり着こんでいたのに、
酔いのたわごとだったと言うの? 一眠りして
目が覚めたら、さっきまでの元気はどこへやら、
青くなっておどおどしているの? わかったわ、
あなたの愛もその程度なのね。怖いの?
あなたの中で、勇気あるご自分、その理想と現実を
一致させるのが?[…]まるでことわざに出てくる猫ね、
お魚は食べたし、お水は怖しって。
マクベス やめてくれ。
おれは男にふさわしいことなら何でもやってみせる、
その一線を越えたら男どころか、人間じゃないだろう。
マクベス夫人 ではけだものだったのかしら、
あの計画をわたしに打ち明けたときのあなたは?
やろうと言ったあなた、男だったわ。
そこを越えて行けば、もっと男になれるの。[…]
わたしは赤ん坊にお乳をあげたことがある、
お乳を飲む赤ちゃんは本当に可愛いわ、
それでも、わたしの顔を見てにこにこするその子の
柔らかい歯ぐきをこの乳首からもぎはなし、
脳みそをたたき出してみせる、いったんやると誓ったなら。
あなたも誓ったわよね?
マクベス 失敗したら――
マクベス夫人 失敗!
勇気をぎりぎりまで引きしぼるの、そうすれば
失敗などしないわ。ダンカンが眠ったら、
そう、昼の旅の疲れでぐっすり寝こむだろうから、
お付きの者二人にはわたしがお酒をたっぷり飲ませて
酔いつぶしておきます。[…]彼らが豚のようにいぎたなく
眠りこんでしまえば、無防備なダンカン、
あなたとわたしでどうにでもできるでしょう?
そのべろべろのお付きの者たちになすりつければいい、
王殺しの罪を。
マクベス おまえが生む子はみな男になるだろうな、
不撓不屈のその気骨、男ばかりを
生むにちがいない。こういうのはどうだろう、
眠りこけた護衛二人に血を塗りつけておく、
短剣もやつらのを使っておけば、
やつらのしわざに見えないか?
マクベス夫人 見えますとも。
わたしたちは大声で泣いたり叫んだりしましょうよ、
「王が亡くなった!」と。
マクベス よし、決まった。あとは
全身の力をふりしぼって事にあたるのみだ。
行こう、晴ればれと、世をあざむきに、
心の裏切りは、顔で偽るしかない。
【二幕一場】
マクベス これは短剣か、目の前に見えるのは?
柄を握れとばかりに。握ってやろうではないか――
つかめない、だが消えもしない。
忌まわしい幻よ、目には見えても
さわれないのか? 心に映るだけか、
熱に浮かされた頭から出てきただけか、
あると見せて裏切るのか?
まだ見える、手に取れそうな確かさ、
おれの抜くこの剣と同じだ。(自分の剣を抜く)
先に立って行くわけか、おれの行く先へ、
いまから使おうとしていた物のすがたで。
おれの目がおかしいのか、それとも目はたしかで
他の感覚がやられたのか。まだ見える、
きさまの刃にも柄にも血糊が、
さっきはなかったのに。あり得ない。
血濡れの仕事の予告を、こうして
見せられているわけか。[…]
(鐘が鳴る。)
行こう、それで事はすむ。鐘が鳴る、おれを呼んでいる。
聞くなよダンカン、あれはきさまの弔いの鐘、
行くは天国か、はたまた地獄か。