sala

思考から感覚へ

sala

思考から感覚へ

最近の記事

自分を喜ばせること

今日お茶を飲んでて ティーバックというか煮出してもよさそうな、小分けになってるやつをカップに入れて、お湯を注いで飲んでいて 飲み方も、裏面が日本語じゃないので読んですらおらず いつもなら、追加で2杯目か3杯目もお湯を注いで飲みそうになるけど あー、別に飲みたくもないのに、一杯で捨てるのもったいないから、追加注いで飲んでたなー と気づき 2杯目飲みたい?て自分のカラダに聞いたら、飲みたくないと言うし この他にも4種類くらい色んなお茶を注文してたから、お茶はたくさん

    • モデルルームのような人生

      私のエゴキンマンは お前はそれじゃだめだ とか もっとこうでないと 成功しないと という 自分責め というより 人生全般が、モデルルームのような完璧な状態がデフォルトでそれが当たり前なんだから (モデルルームだから、食器洗って干してるなんて状態すらダメ、ちゃんと整った状態でしまわれてないと) その状態でいないといけないから そうでない状態に対してダメ出しする、というより その状態にしなきゃいけない という ねばらならない しなきゃ やらなきゃ だったんだなーと思

      • カラダの感覚に従ったら、どんどん「ある」が見えてきた

        今日は朝からコンタクトもメガネもつけなくていいや と、なんとなく思った 入院してから退院・自宅療養の3週間、ずっとメガネにしていて こんなに長くメガネでいたのは小学生以来 メガネのフレーム調整が必要なんだろうけど、右耳のあたりが悪く、タコみたくなってて痛くなってることに気づいた それでおとといから日中はコンタクトをつけてた 今日は起きてから、メガネもかけたくないしコンタクトもつけたくないなー、そのままでいっか かなりの近視な私にとって、そんなことするのはあり得ない

        • タスク思考だったことに気づく

          カラダの感覚に気づくようになり 頭で思考で、考えるのをやめてから ふと、思い浮かんだことに対し それについて、いつするんだどうやるんだ って自分の中で決めることをやめた 調べるのは調べたりもするけど まーやりたい時にやれるでしょ と、ほっておく そうやっていたら だんだん やりたいことがたくさんあるなー という感覚になってきた これまでは、全てが やらなきゃいけないこと で、せっかく思いついたこと思い浮かんだことも タスクになってた ・やならき

          カラダの声を聞く

          エゴはしたいと言ってるけど、カラダはしたくないしなくていい、と言ってる感じ バスルームの床を水流して掃除したいなとずっと思ってて(海外なので洗面トイレシャワーとつながってる床) けど、今退院して療養中で、それがあったから無理してやったりはしなかったのだけど 掃除したいなーしたいなーとはいつも思っていて… 今日もトイレに行った時、したいなーと思ったんだけど、カラダがしたくない感じしなくていいよって言ってる感じで あー、これか…と 頭で思考で、しないと、と思ってて、エゴが言

          カラダの声を聞く

          エゴの声とカラダの声

          ネドじゅんさんを知り、左脳と右脳について、思考と自分が別物だということについて知ってから ワークを続け 思考・エゴとの距離が徐々にできはじめ だんだんエゴの声が分かるようになってきた そうやって振り返ってみると、これまでほとんど全てのことをエゴの声・思考・頭に従いやってきたと思う カラダが疲れてるな、とか、きついな、痛いな よりも コスパ 経済的に 合理性 せっかくだから そんなことで全てを選んできたことに愕然とする きついとか疲れてる、すら聞いてあげず これ

          エゴの声とカラダの声

          感謝、が大事とは言うけれど、どうやったら感謝が湧き上がってくるのか

          感謝とか愛とか、大事なのは散々聞いて、分かってるけど どうしたら そう思えるのか 感じれるのか 湧き上がってくるのか 分からなかった 今回、感謝を感じるようになって思ったのは そもそも私たちは愛とか感謝に満ち溢れた存在・周波数なわけで そこに乗っかっているものを外していけばいいだけなんだ、と 具体的には 我慢してることに気づいてやめる イヤだとと思っていたことに気づく、感じる 抑え込んできた、怒りや悲しみに気づき、感じる、解放する 感じること、感覚に気づくこと

          感謝、が大事とは言うけれど、どうやったら感謝が湧き上がってくるのか

          自分に甘くしよう

          今朝起きて、布団の中でモゾモゾしていて 思考しているのに気づき、エレベーター呼吸しよう、と で、そのときに思ったのが 10回でもいいや いやむしろ一回やっただけでもいいんだ もっと自分に甘くしよう ちゃんとやらなきゃとか、こんなんじゃやってるうちに入らない そう無意識のうちに、いつも思い込んでいた 周りと比較して、右脳回帰した人がこのくらいやってるから、このくらいはやらないと とか ずっと昔から、無意識に周りと比較しては自分にダメ出しを続けてきたんだ 気づ

          自分に甘くしよう

          自己受容

          自分を受け入れるということ 頭では理解していたつもりだったけど どんなにひどいことを思ったとしても それを思ったことを否定しない そして、自分が感じたイヤな感情を無視せず そのときのカラダの感覚を ちゃんと感じてあげること 感情は感じ切ると消える とよく言うけど そもそも、「感じる」ことを 勘違いしていた 頭で思考で、イヤだイヤだーと思うことが感じること、だと思っていた その感情のときの カラダの感覚に 意識を置くこと これが「感じる」ということなんだと 知らなか

          自己受容