カラダの感覚に従ったら、どんどん「ある」が見えてきた
今日は朝からコンタクトもメガネもつけなくていいや
と、なんとなく思った
入院してから退院・自宅療養の3週間、ずっとメガネにしていて
こんなに長くメガネでいたのは小学生以来
メガネのフレーム調整が必要なんだろうけど、右耳のあたりが悪く、タコみたくなってて痛くなってることに気づいた
それでおとといから日中はコンタクトをつけてた
今日は起きてから、メガネもかけたくないしコンタクトもつけたくないなー、そのままでいっか
かなりの近視な私にとって、そんなことするのはあり得ない
しばらくその状態で家事したりご飯食べたり
裸眼でいよう、と思った自分にもびっくりした
けど、これがカラダの声なんだなー、と
なんとなくそう思った、感じた、からそうしてみた
そしたら案外普通に動ける
メガネかコンタクトをしないといけない、と無意識に思いこんでいた
外を見たら、日によって曇ってて見えるか見えないか変わる、奥の山が、今日はうっすら見える日だとわかった
見えない、とない方ばかりに囚われてきたけど、あんな遠くの山も見えてるし、生活だってできるじゃん
中学生なのに、私の今の視力と変わらないほど目の悪い息子に対して、すごく心配してどうにかしないと、と焦ってきたけど
見えてるじゃん
と、なった
「ない」方にばかり囚われて、「ある」方を観てなかったんだなーって
不安や心配を手放して、愛されてたことを思い出す、そちらを選択する、と決めてから
ある、方がどんどん観えてきた