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宇佐見りんさんのデビュー作『かか』を読みました。

こんにちは。桜です。
芥川賞を『推し、燃ゆ』で受賞された宇佐見りんさんが話題ですね。その作品を読む前にまずはとデビュー作である『かか』を読ませていただきました。
いやぁこれは凄い。痛い。主人公の心の叫びが聴こえる作品でした。今日はその衝撃を忘れないうちに感想メモとして記したいと思います。(勿論作品の受け取り方は自由です。あくまで個人的な感想です。文章の引用は避けますが未読の方はネタバレにご注意くださいね。)


♦衝撃の序章

まず目をひくのは、主人公うーちゃんの幼さや淋しさを表すのにぴったりな独自の「かか弁」。これがまごうこと無き“ゆらゆら”を生み出していました。言葉は一つでイメージが定まることがある為このオリジナルの言葉の効果は絶大。ひらがなと漢字、話し方による日本語表現の幅広さを再認識しました。

ここから読み手はうーちゃんと共に作品を泳ぎ、共に息継ぎをしながらゆっくり進むようでした。決して溺れないように。

このような引き込まれるブロックが最初にあることで、私は一気に『かか』を体験するモードに入りました。加えて毎月訪れるあの憂鬱を思い浮かべることで、なんともいえないものを感じスピンと装丁の緋色をじっと見つめました。


♦名前から伝わる印象

なんといってもこの作品に出てくる名前が印象的でした。淋しさの象徴である“うさぎ”を用いたうさぎちゃんは自身をうーちゃんと呼びSNSではラビちゃんと名乗ります。ここでSNS用に完全に違う名前にしてしまわないところにも意味を感じました。

暮れゆくイメージの夕子。自分が世界から見た暗だとしたら注目してもらえる反対側の明るいが付いた明子。この二人についた子という文字にも納得でした。さらに父と母を名前で呼ばないのも、私のお母さん私のお父さんとその属性を第一に語っているように感じました。


♦熊野への旅

うーちゃんの立場になってみれば必然の旅。常にベクトルは旅へ向いていました。実際に熊野を訪れた作者による詳細な街の描写。イザナミノミコト。この場所ではこれまでの“淋しさ”そして“信仰”という2つの神秘的なテーマを彷彿させます。
物理的にも遠く離れ、俗世からも離れた場所にいる自分。手元にあるスマホがリアルを浮かび上がらせていました。いろんな意味での圏外。同時に完全には離れられないんだという痛みも伝わりました。作品の赤と緑のコントラストも見事。

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♦母と子の連鎖

生まれながらに変えることのできないルーツ。その繋がりが母のつらさのきっかけになっているのではないかと苦しむうーちゃんは、愛する母を産んでその人生をリセットできればいいのにと考えます。奇しくも体質やリズムは遺伝し自分の一部となっていることにも気付き、愛されたいと願う淋しさの連鎖が二人をより近くに感じます。優しいからこそ愛しいからこその発想に一卵性親子という言葉が頭に浮かびました。


♦ラスト

最後には宇佐見りんさんにしか書けない唯一無二の文章のラストでとどめを刺されました。
いかようにも考えることができる一行。ここまでは思い出し語りで急に現在に来たかのような。歩きながら話していたのに急に立ち止まったようで読みながら息をするのさえ忘れそうになります。

ほっとしたのか、はたまた繋がりの象徴が消えたのは嬉しいのか悲しいのか。うーちゃんはこの物語を生んだのか。結果のどちらが楽なのか。加えて喪失感やまだまだ続くという悲壮感が読者に突き刺さる見事なラストでした。


♦おわりに

緋色について考えたり、湯船・涙・水音のする管といった水の表現に羊水を重ねてみたり、そして幼さを感じるひらがなと痛みを伝える漢字のバランスが醸し出す雰囲気を体感したりと存分に五感で感じる小説でした。何より伝わってきたのは、書きたい表現したいという作者の温度でした。

それゆえ読後ぐったり消耗する方も多いだろうと、集団予防接種に並び、「痛かった?」とクラスメイトに聞くような(昭和の話です)、ジェットコースターから降りてくる人を見るような謎の“読了した人との連帯感”を勝手に感じました。


***


デビュー作である『かか』。若き作者のこれからが末恐ろしいくらいの熱い深い作品です。と同時に今だからこそのエネルギーも感じました。もう一回読むとその表現の持つ力がより理解できそうです。


うーちゃんの10年後がどうか幸せでありますように。


かかと同じ術を経験した かか世代の私より。



お読みいただきありがとうございました。





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