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本当に、月が綺麗ですね。


「明日は満月です!開運日ですよ!」

母が気に入って視聴している開運系YouTuberの方がそんなことを言っていた。

確かに数日前に帰り道で見えた月もかなり明るかったし面積も大きかった。

そういえば昨日は空を見上げたら曇り空で月も雲隠れ。

明日、ちゃんと満月見えるかな。

そう思いつつ、あまり期待せず夜を明かした。

翌日、バイト終わりの帰り道。
最寄り駅から家に着くまでのわずか10分の間。
思い出したように街灯も少ない田舎の空を見上げてみた。



空に浮かぶそれは、私の想像の数百倍明るくて、
大きくて、輝いていて。
月が眩しい、なんて感情を抱いたのは久しぶりだった。
目を凝らせばウサギの餅つきも見えるような気がして。

久しぶりにちゃんと月、見たいかも。

今年最初の満月だし、なんか縁起良さそうだし。


バルコニーから見ようかな、ベランダかな。
いや、部屋の窓からも見えるかも。


そんな期待に胸を躍らせながら足早に家へ帰った。


思えば今まで、月を見よう!と思って月を見たのは月食みたいなイベントのときくらいで。

それ以外は、帰り道にぼーっと空を見上げて、あ、月綺麗だな、今日晴れてるな、って。その程度。


でも、今日の私は違う。


夕食後、ウッドデッキに出て庭先で月を見上げる。
冬の澄んだ空気の中で見る月はやっぱり綺麗で。

絵で描く月って黄色だけど、こうしてみると案外白いな、
なんて思いながら。

この景色、酒が進みそうだな、なんて
風情の欠片もないことも傍らで考えて、家の中に入った。

しばらく犬と戯れて、紅茶を飲んで、
さぁそろそろ寝ようかというタイミングに。


いや、ちょ、待てよ。

やっぱりここで終わったら勿体ないかも。
もうちょっと綺麗に見れないかな。

満月1晩見放題プランを手にした私の、人間の、
元を取りたいという強欲な部分が出てきてしまった。

さすがにこの時期の屋外で長期戦の観察は寒すぎたので、
屋内である自分の部屋の窓から空を見上げることにした。

普通に見るにしても、1階から見た時とは角度も違って、
時間の経過ゆえに月の位置も違って、
束の間に表情を変える月ってやつが、案外面白かった。



今日の月、綺麗だなぁ。

息を吐くように言葉が漏れる。

もっと綺麗に、クリアに見たくて、
引き出しに手を掛け、たまに使うメガネを取り出した。

乱視に補正を掛けて見ると、さっきまで曖昧だったウサギがしっかりくっきりと見えた。
遥か遠くにあるはずなのに、手で掴めそうな不思議な感覚。

20歳を過ぎて、こんなに必死になって、しかも長い時間、なにかを見つめることはなかったかもしれない。

なんだか、昆虫観察や植物観察の記録を書くために必死になっていた幼少期を思い出してクスッと笑みがこぼれた。


もっと、もっと綺麗に、見たいなぁ。

本当は望遠鏡なんかを拵えてプロ仕様で観察をしたいところだが、そんなものは持ち合わせていない。

そこでふと思いついた。
いつもライブに持っていっている双眼鏡。
あれ、使えるんじゃないか。

今思えば、「月って双眼鏡で見ていいの?」「太陽はダメなんだし、失明のリスクとかあるんじゃない?」と、理性的な部分でストップをかけるべきだった気もする。

だが、そんなことを気にする余裕はそのときの私には無かったようだ。(視力が残ってなにより。)

思い立ったが吉日、収納棚からヤツを取り出すと、隣の部屋で眠る両親を起こさないようにゆっくりとポーチのマジックテープを剥がした。

レンズカバーを調整して、月に向けて、恐る恐る覗き込む。


真っ暗な視界に急に現れた大きくて白い丸に、一瞬目が眩んだ。


思わず息を飲んだ。

ぼんやりとしていた輪郭がさっき以上にくっきり映った。

なにより、さっきまでは広くて暗い空の中にぽつんとあった月が、このレンズの中では目いっぱいのサイズで見えた、それが嬉しかった。

思わず誰かに見せたくなるような、
月を見てくれと言いたくなるような、そんな月だった。

事実、何かに急かされるように、親しい友人たちにLINEを送っていた。
見てくれるか否かはどうでもいい、ただの自己満足だったが、"綺麗だな"と共感してもらえるとやはり嬉しい気持ちにもなった。

夏目漱石が、「I love you」という言葉に替えて「月が綺麗ですね」と女性に伝えたのも今なら共感できる気がした。


こんな綺麗な月は、あなたと一緒に見たいです。
かもしれない。もしくは、
見せたい相手を考えていたらあなたの顔が浮かびました。
かもしれない。

ロマンティックだなぁと惚れ惚れした。

とにかく、心が満たされた。洗われた。
1人では抱えきれない、えもいわれぬ感情に苛まれた。

明日からは欠けていくという儚さを孕んでいることもまた、月が美しく見えている理由なのかもしれない、なんてことまでぼんやりと考えた。
スマホのカメラではこの綺麗さを記録に残せないのがもどかしい、と嘆いた。

"目に焼きつける"ってこういうことを言うのだろう。

そう思うほど、じっくり、ゆっくり、隈なく。

月を見た。堪能した。

一生分月を眺めたかもしれない。

月に1度は巡ってくる満月だが、思い立たなければ一生じっくり眺めることはないかもしれない。


不意に思い立って空を見上げたこと。
道具を使って見てみようと思ったこと。

人生経験として、確かな財産を得られたような、
なんでもない日に私だけ得したような、不思議な優越感に浸った。

数ヶ月後、あるいは数年後、また満月を見上げたふとしたときに、今日の日の思い出がよぎるかも。


そんな、未だ訪れない未来の1日に思いを馳せて、ふっと表情が緩んだ。

ありがとう、開運系YouTuber。


さて、太陽が昇る前に寝よう。

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