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「私より、あの子」を変えたくて。

先日、人から自分の長所と短所を尋ねられる機会があった。
面接の場面だったのだが、よくありそうな質問にも関わらず、私は「長所」に関してなんの回答例も用意しておらず、一瞬で頭が真っ白になってしまった。

日常生活の中でも、「自分のいいところってどこだろう?」「自分の直すべきところって?」と考えをめぐらすことは誰しもあるだろう。私にだって今までそういう機会は何度もあった。
じゃあなぜ長所についての回答例が自分の中になかったのか。
答えは簡単。そもそも答えが"分からない"のだった。
どれだけ考えても、何年間も、ずっと。


「タイピングが早いよね」「歌うときの声がいいね」「料理を作るのがうまいね」
そういった、ある種スキル的な、技術的な部分での良い点は、人から褒めてもらえることもあるし、そのおかげで自分でも認識がしやすい。それは、歌ならば点数、料理なら味という具合に、評価の基準となる尺度がある程度明確だからかもしれない。ただ、面接のような場面で聞かれる「長所」として答えるものとしては少し毛色が違うように思った。

じゃあ、いわば性格的な、性質的な部分はどうだろうか。
「優しい」?「気配りができる」?「面白い」?「明るい」?
自分のことを周りがどう思うかの捉え方がそれぞれ異なるように、私自身で感じている私のパーソナリティもまた周りの評価とは少し異なっているように思う。
優しいと思われることや気配りができることというのは、言ってしまえば自分の芯がなかったり流されやすいということにも繋がる。
面白さの基準は人によって異なるし、明るいか暗いかはそのときの気分の浮き沈みに影響を受けてコロコロと変わる。
こんな言い方・捉え方をしてしまうのは他でもなく私自身がネガティブシンキングの持ち主であることが原因だし、ネガティブでいてもいいことなど何もないとは分かっているのだが、なかなかこの思考から抜け出せない。
謙遜でも恥ずかしいわけでもなく、純粋に、自分のもっている性質を、きちんとフラットに(必要な場合は肯定的に)、評価することができない。

冒頭で話した面接のときには、さすがに「わかりません……」というわけにもいかなかったので、相手の求めているであろう答えに寄せて長所を回答をした。

他方、短所については、用意していなかったにも関わらず、
「周りと自分を常に比較してしまうこと、周りと比べて自分が劣っている点にばかり目が向きやすいことだと思います。」
自分でも信じられないくらいサラッと、スラスラと出てきた。
そして、そのとおりだな、と自分を俯瞰してみても実感できるほど、的を射ていた。

容姿、センス、運動神経、頭の良さ悪さ、交友関係の築き方。
いつも、なにもかも、周りと比べては、「なんであの子みたいに上手く・良くできないのか」と思い悩んでいる。
おそらく小学生くらいの頃から、ずっと。
なんなら、趣味であるライブや舞台鑑賞の場に行っても、チケットの運やうちわの完成度など、常に人と比べているように思う。楽しむための趣味なのに、損な話である。

「相手はそんなこと気にしてないよ」「自意識過剰なんじゃない?」
幾度となく言われたそんな声かけも脳裏をよぎる。そんなことは分かっている。
それに、自分に悲観的な思考をする傾向が定着してしまった原因は、漠然と、でも明確に分かっている。
でも、外部要因だし、自分の力だけでなくすことは難しそうである。

じゃあ、外部要因を変えずにどうしたら自分を変えられるのか、変われるのか。
曖昧なまま、ずるずると悩み続けている。

記事を書きながら、昨年観劇した「あの子より、私。」という舞台のことを思い出していた。プライドの高い登場人物たちがそれぞれ、収入や生活レベル、就く職業、恋愛の仕方、仕事とプライベートのバランス、友達との関係性や距離感の保ち方、さまざまなことに悩むことが物語の主だった。
他の人と自身を比べ、ないものねだりをし、時に周囲とぶつかりながら、それでも自分の生き方を肯定して前に進んでいく。そんなキャラクターたちの姿が印象的でもあり、少し羨ましくもあった。

特に、舞台に登場する兎谷彗という青年のセリフが印象に残っている。
父親がニッチなロックバンドのメンバーであることが周囲に知られている彗は、父親のことで周囲にいじられることや、バンドマンの息子である自身が音楽に打ち込むことの気まずさを抱えながら生活している。
そんな中、「お前はお前なんだから周りのことなんて気にしなくていいじゃないか」と呑気に語る父親に向かって、「関係あるよ!」「比べられるから」「恥ずかしいだろ!」と声を荒らげる場面があったのだ。

自分が芸能人やインフルエンサーのように人の注目を浴びる職にでも就いていない限り、周囲に言われたことや世間体なんて、気にしないで生きていても困らないことのほうが多い。なんなら芸能人ですら自由奔放に過ごしている人もいる(慧の父親のように)。
だが、そうと分かっていても、周囲に言われたことを気にし、周囲からの評価を恐れ、臆病になってしまう慧の気持ちが、痛いくらいによくわかった。


「あの子より、私。」ならぬ、「私より、あの子。」状態をずっと続けている私が、それでも自分の考え方や過ごし方を肯定して、「これでいい」と自信を持って、胸を張れる日がいつか来るのだろうか。

きっと、すっかり晴れることはない悩みなのだと思う。それでも、自分が自信を持てない理由を考えて、ときにそれと向き合って、考えを巡らせることで、もしかしたら何か自分が変われるきっかけ・兆しが見える日だって来るかもしれない。
人と比べた上で、「それでも自分らしくいよう」と思える日だって、来るかもしれない。

知人や周囲の人は、ずっとうだうだして、時間ばっかり浪費して、頭を抱えながら唸っている私を見てもどかしさや鬱陶しさを感じているかもしれない、というか感じさせていると思う。それはごめんなさいと謝っておく。
でも、どうか、嫌いにならずに、そしてあまり重く受け止めず、「またやってるな」と思っていてくれたら嬉しい。
ワガママを言うなら、それも含めて私なのだと思っておいてもらえるとなおありがたいな、と思う。

私は、もうしばらく、当分、うだうだモヤモヤしようと思う。
自分が好きになれる自分を見つけられるまで。


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