型染版画・てんしのはしご
和紙に型染の技法で制作した版画作品です。
タイトル:型染版画・てんしのはしご
デザインをして型を彫って、和紙に糊を置いて顔料を摺り込んで、水につけて糊を落とす、という工程で制作しています。
「かたちをさがす」という展覧会を開催した時に制作したものです。同じ形を複数つなげて配置してみたら、何か他の物を思いおこさせる形にならないだろうか。そういうコンセプトで作品を作っていた時期のものです。
これは二人の天使が足と羽の部分でつながっていて、対称になっているように見える形です。
タイトルは、この絵が出来上がってからつけました。
お互いがお互いの影になっているような、それぞれの世界の梯子を歩いているような、そんなイメージです。
この天使達は、すぐ近くにいるように見えて、互いの存在を全く知らず、別々の世界にいるわけです。
私たちももしかしたら、全くの別世界に生きている自分がすぐそばにいるのに全く気づかずにいるだけなのかもしれません。
「光をもとめる」という時に(私も時々そういいますが)
その「光」というものは、外側のどこかにあるものではないのです。
自分の(世界の)中に既にあって、外に探しに行っても、何処にもないのです。
外側で見つけたものを「光」だと思って取り込んでみたとしても、
自分のではないものはしっくりこない上に、いっとき「うまく」行くように見えて、
そのうちとんでもない不具合が生じてくる。そういうものだと思います。
そして「光」と「影」を別のものとして分けて考えて、
「光」は良いもので、取り込むべきもので
「影」は良くないもので忌避すべきもの、とする方向も、
おそらくいずれは破綻すると思います。
いっけん恐ろしい、見たくない、そして(なによりも)他者に見られたくない
自分の暗部というものは、怖ければ怖いほど必要なもので、
見ないふりをしたり、蓋をしてやり過ごしたりするものではないと思います。
(わざわざ他者を攻撃して回る事を推奨はしておりません)
画像の天使たちは、ほんらいはひとつの存在です。
どちらも同じものであるのですが、その時に「自分」だと思っている側が
たまたま「今の自分」なだけなのです。
そして「今の自分」の目には、別の自分が見えない、感じ取れない。
(「見なければ」「感じ取らなければ」というものでもないと思います。
そう「思っている」段階では、おそらく無理な話です。)
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