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noteを始めた理由


私は11/8、自分の誕生日にnoteを始めた。

誕生日に始めたのは、新しい一歩を踏み出すいい機会だと思ったからだが、
そもそもnoteを始めようと思ったきっかけは大きく4つある。

  1. 私が尊敬している方がnoteを投稿されているから

  2. 自分の気持ちを言語化できるようになりたいから

  3. 誰かに見ていてほしいから

  4. 軌跡を残しておきたいから


1.私が尊敬している方がnoteを投稿されているから

いの姉こと井上詞葉さん


3年前に彼女が始めた時から、「いいな、私もいつかやってみたい」とぼんやり思っていた。

私にとって彼女は宝箱のような人だ。

楽しい、嬉しい、苦しい、辛い、様々な日々の気持ちに向き合い、そこから辿り着いた世界が書かれた記事たちに、私は時々涙を流すほど心を打たれている。

言語化ができなかった自分の気持ちを教えてもらったり
「こんな考え方もあるんだよ」と違う目線を与えてくれたり
楽しい気持ちにさせてくれたり
辛くて折れてしまった心に包帯を巻いてくれたり

まるでいろんな素敵な宝石が次々と出てくる宝箱みたい。

そんな彼女を尊敬する気持ちとあこがれる気持ちから、私も書いてみたいと思うようになった。


2.自分の気持ちを言語化できるようになりたいから

彼女がnoteを始めた当初は、心の中でいろんな人格が対話している内容が書かれていた。

その頃の私は、自分の気持ちを人に話すのが苦手で、嫌われるのも怖くて、ポジティブな言葉ばかりを選び、まるで全肯定botのように他人に接していた。
どんなに近い距離の人にも全員に対して、だ。
まるで自分がない状態だった。

そういう態度でいると、他人に自分の心を決めつけられ、なぜかモヤモヤすることも多かった。

しかしちゃんと伝えたくて言葉にしようにも、適切な言葉が見つからない。

やっとの思いで見つけた言葉は、たった一度否定されたことで、もっと話せなくなった。


そんな私にとって、彼女がnoteで自分の心の内を書けるというのは『羨ましい』ことだった。

私も自分の素直な心を見せられる人になりたい
私も自分の気持ちを言葉できるようになりたい


いいないいなと羨望が募った私は、他人に自分の気持ちを話すことで言語化できるように取り組んだ。

そうしたら、それを手伝ってくれる人たちが現れた。
自分が変わると世界が変わるとはこのことだ。

まだまだ言葉にできない気持ちは山ほどあるが、自分の心を見せられる場所があるというのは、何とも素晴らしく、ありがたく、温かく、優しいことなのだと知った。

今後はnoteに書き記すことで、言語化の課題に取り組んでいきたいと思う。


3.誰かに見ていてほしいから

私には『誰かに私を見ていてほしい』という気持ちがある。

それは小さい子供が親に描いた絵を見せたくなるような感覚に似ている。

自分で自分を認めるのが苦手な私は、誰かに花丸をもらえないと不安になってしまうようだ。

いつかは自分で自分に花丸を付けてあげられるようになりたい。

でも今はまだできない。

だから誰かから見てもらうことで、「見てくれている人がいるんだな」と実感したいのだ。


4.軌跡を残しておきたいから

いつかは自分の気持ちを昇華し、自分で自分を認め、自分軸で生きていけるようになりたい。
自分に自信を持って花丸を付けられる人になりたい。

そのためにも、今感じたこと、今の教訓を残しておきたい。
いろんな人たちが私に教えてくれた大切な言葉という宝物を大切に残しておきたい。

その積み重ねは私の大事な生きた軌跡だ。
山あり谷ありの経験を書き記し、忘れないようにしておきたい。

どんな経験もいつかの自分の要になると信じて。

これがnoteを書こうと思った最大の理由だ。



今は自分のためにつらつらと思ったことを書いているけれど、いつかnoteでの目標が見つかったらいいなとも思う。
それは未来の自分に託すとしよう。


ここまで読んでくださってありがとうございました!
この素敵な出会いに感謝を🌸

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