
中身を見てほしい話
私は女性アイドルが結構好きだ。
特に秋元康に毒されているので、あの界隈はほぼフルで歌えるし、サビは踊れるし、メンバーのフルネームを漢字で書ける程度には好きだ。
アイドルは【顔が良いのが大前提】で、グループ内外を問わず、続けていくためには内面や特技で勝負する必要があると思っている。
顔や特技は最初のきっかけになるかもしれないが、その後ファンになったり応援したいと思わせるかどうか、長く息をしていけるかどうかは、内面次第なのだ。
そんな彼女たちが音楽番組で華やかな衣装に包まれて、1秒に満たないカットに全力のキメ顔をする姿は本当に努力の結晶だ。
何度も録画した同じシーンを見ながら、テレビに向かって「ゔっ…」と声にならない声を出すのが、もはや私の日課のようになっている。
🔍
彼女たちを見ていて、良く思うことがある。
もしも私が彼女たちの立場だったら…
(容姿や年齢やもろもろの条件は無視してください)
どんな性格なのか見た目で判断され、どんな気持ちで活動に勢力を注いでいるのかリアルタイムでファンに知ってもらう機会は少なく、今何を考えているのか自分の声で伝える場所がないとは、一体どんなに息苦しいことだろうか。
「芸能人なんてそんなもんでしょ」と言われたらそれまでだが、「それが普通」だなんて、私はきっと思えない。
見た目や切り取られた一部分だけを世間に晒され、勝手なイメージが一人歩きし、自分の内面を好き勝手に想像され、訂正もできないとは、どんなに辛いことなのだろうか。
かく言う私も、勝手なイメージを抱いているうちの1人であり、そのイメージが合っているかどうかを直接本人に確認したことなんてない。
🔍
現実世界(一般社会)に置き換えても、内面を見てもらえないことは多々ある。
男/女だから、◯歳だから、年齢が上/下だから、見た目が〇〇だから、結婚していない/いるから、服装が〇〇だから、ピアスが開いていない/いるから
私たちは無意識にいろんな先入観を持って他人と接している。
私も芸能人ほどではないが、見た目や一部だけを切り取って中身を決めつけられ、苦しんだことが何度もある。
自業自得の場合もあるが、いずれにしても私が望んだイメージだったことはない。
昔付き合っていた人に「顔だけが好き」と言われて、ぶん殴りたくなったこともある。
そうやって見た目だけで中身を見てもらえず、勝手なイメージを先行させられた時、「もっと〇〇すべき!!」「もっと〇〇した方がいい!!」などと、やりたくない&望んでいないことを求められることが多かった。
しかし当時の私は自分の気持ちがまるで分からない人間だったので、
『求められていることに答えなければならない』
『演じなければいけない』
と自分を追い込み、苦しすぎて耐えきれなくなり、心が折れ、やっとこさ辞める決意をするという行為を繰り返していた。
今思い返してみると、自分の気持ちを聞く力が弱いとはいえ、自分をいじめる行為だった。
その後成長した私は、きちんと対話をし、考えを知る機会を作り、本当の中身を見る努力をしてくれる人のありがたさに気付くことになるのだが、あと10年は早く気付きたかった。
きっとこれをコミュニケーションと呼ぶのだろう。
私にとって、コミュニケーションは必ずしも直接顔を合わせないと出来ない行為ではない。
通話だけ、文字だけでも、自分にも相手にも嘘偽りがなければ成り立つものだと思っている。
実際私にはネットを通じて知り合い、一度も会ったことがなくとも、大事に思っていると自信を持って言える人が何人もいる。
容姿の好みに囚われず
勝手なイメージを押し付けず
健全なコミュニケーションを取り
自分の目で相手の中身を見て
お互いの関係を築いていけた世界は
とても優しく平和だ。
肌荒れしている日もあるだろう。
疲れ顔の日もあるだろう。
ニコニコの日もあるだろう。
ニヤニヤの日もあるだろう。
思っていることが顔に出るタイプの人でも
ポーカーフェイスの人でも
どんなに素敵な顔立ちをしていようとも、
本当の心のうちは本人にしか分からない。
見た目に左右されず、丁寧にコミュニケーションを取り、相手を見極めていける人間に私はなりたいのだ。