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もしも我慢をしなかったら


先日の記事のコメントに、「妥協せずに、自分のやりたいことをやる」とアイディアを頂きましたので、実践してみました。
コメントいただきありがとうございます!


。❀ 𓂃𓈒𓏸


正確には
買い物などや外食で何かを選ぶときに、値段の安さとかよりも、自分が欲しいとか食べたいと思うものをちゃんと考えて選ぶようにすること
というもの。


心当たりがありすぎて、無意識のうちに自分に我慢をさせていたなと大反省し、
早速食べたかった餃子をUberEATSで注文した。

なぜか焼き餃子が無く、水餃子🥟


ついでに高すぎて我慢していたいちごも購入。

この世で最も好きな食べ物🍓


お金がもったいないな、とか
作り置きがまだあるのにな、とか
食べに行った方が安いのにな、とか
栄養が偏ってるな、とか

私を引き止めるいろんな声が頭を駆け巡ったが、全部無視した。



私はとにかく我慢や妥協する理由を探す能力に長けている。

思い起こせば、子供の頃からそうだった。

ディズニーランドでずっと欲しかったポップコーンケースに巡り会った小学生の時。
母がくれたお小遣いを握りしめてルンルンで買いに行き、値段を見た私は「無くても生きていけるし」と買わずに引き返した。

どうしてもやりたくない勉強をしなければいけなかった高校生の時。
「やらないと怒られる」精神で自分に鞭を打った結果、教科書を開いただけで爆睡する身体になった。

それは大人になっても変わらず。
好きなことにお金を使って、好きなことができる時間があるのに、
欲しいものは「無くても生きていけるし」精神
食べたいものは「作った方がお金かからないし」精神
買わなきゃいけないものは「できるだけ安いものを」精神
やりたいことは「でもお金かかるし…」精神


本当は欲しいのに、やりたいのに、遠ざける理由を探して、自分を納得させ、諦めさせ、忘れるのを待つ、の繰り返し。

自分が欲しかったものを持ってる人を羨ましがっては、「でもでもだって」を繰り返して、自分の中の欲しい欲求が鎮まるのを待つ。


気付けば【我慢が当たり前】の人間が出来上がり!

。❀ 𓂃𓈒𓏸



我慢が当たり前になると、我慢していることにすら自分で気が付けなくなる。
自由に過ごしているつもりだが、無意識にたくさんの我慢や妥協を繰り返しているのだ。


コメントをいただいた時、「私のことじゃん!!」と激しく同意した。

そりゃあ何でもかんでも好きなものを買ったり食べたりしていたらキリがない。
ある程度の節制は生きるためにも、健康のためにも必要だ。

が、必要以上の我慢は精神的にとてもよろしくない。

ようやく我慢している自分に気が付いた時には、我慢にがんじがらめになり、檻の中に閉じ込められている気分だった。


あれもダメ、これもダメ。

自分で決めたルールを守りすぎるあまり、余裕がなくなり、窮屈な考えと他人への羨望が育っていく。



我慢ばかりは「でもでもだって」と、人の心を狭くする。
全く我慢をしないのは「もっともっと」と、欲望モンスターにさせる。

何事もほどほどに。


我慢しない理由を見つけられる自分になったら、檻の外に自由に出られるようになったら、そこには一体どんな世界が広がっているのだろう。

いきなり「はい!今からあなたは自由です!何でもしていいです!」と言われても、私はきっと我慢していたことをすぐにやることはできない。
本当はやりたいことでも、長年我慢していたせいで「本当はやりたくないのかも」なんて錯覚してしまうのだ。


我慢は頑固な油汚れのようにこびりつき、なかなか落ちてはくれない。

油汚れには温めた洗剤で優しく擦るのがいいらしい。

年末年始は温かい飲み物でも飲みながら、【我慢しなかったらやりたいことリスト】でも作ってみようか。

私は目標にすると「やらなきゃ」と自分を追い込んでしまうので、「いつかできたら素敵だな」くらいがちょうどいい。


【我慢しなかったらやりたいことリスト】
私の中から、どんな突拍子もないやりたい事が出てくるだろう。
書くのが楽しみだ。


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