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【中編小説】純文学:暗黒に一縷の光ありけり。#3

――やがて、十二月二十五日、クリスマスの日。午後八時を回った頃、いつもながら独り寂しく部屋で過ごしていた。窓から、雪がちらちらと空から落ちてくるのが見える。電気ストーブをインターネットで注文し、畳の部屋の隅に置いた。スイッチを入れた瞬間、別世界のようにほっこりと心が和んだ。雪山で遭難しそうな状況下で、レスキュー隊の姿が見えた時にこんな気持ちになるのかな、と想像したりしていた。ストーブのブォーっと噴き出すような音で部屋中がみるみる満たされていく。他の小さな物音は、ストーブの音ですべてかき消されている。ストーブの前から一歩も動かずに、ひたすら猫のような姿で丸くなっていた。
すると、玄関のドアをノックする音が微かに聞こえた。
「日向くん、いるかい?」佐藤さんの声だ。
玄関のドアを開けたら、佐藤さんが小さな白い箱を手に持って立っていた。「コンビニでショートケーキを買ったんだけど、よかったら一緒に食べない?」と言って、初対面だった時と同じ屈託(くったく)のない表情で声をかけてきた。
「え! いいんですか? どうぞ入ってください」佐藤さんをすぐに部屋へ招き入れ、「紅茶を入れるので、そこに座っていてください」と腕でストーブのある方向を指しながら伝えた。玄関のドアが開いた瞬間、温もった部屋に外の冷気が切り裂くように吹き込んできた。
「今日も冷えるねぇ。日向くんは福井での冬は、初めてだろうから戸惑うこともあると思う。私はここに住んでそこそこ経つから、わからないことがあったらいろいろ聞いてください」と、なんとも心強い言葉を投げかけてくれる。
「佐藤さんには、これまでも何かとお世話になっていて、ほんとに感謝しています」おれは懇切丁寧な口調で感謝の気持ちを伝えた。
「私ができることなんて、そんなたいしたことではないんだけどね。実は、もう数十年経つんだけど、妻と離婚して独りでここに移り住むことになったんだよ。それで一人息子がいるんだけど、その子ともそれ以来一度も会ってなくて」
「そうだったんですか……」肩を落とし、落胆したようにおれは答えた。
「君が自分の息子と重なってみえて、つい世話を焼いてしまうんです。ご迷惑だったら言ってくださいね」
紅茶の入ったマグカップを小さな丸テーブルの上に二つ置いた。マグカップから、湯気が上がり、古いアパートの一室にレモンティの香りが広がった。実家から持ってきたレモンティのティーパックがまだ残っていたのだ。
佐藤さんから受け取った、ケーキの箱を開けたら、苺が乗ったショートケーキが二つ入っている。コンビニで買った紙皿の上に乗せて、「いただきます」と手を合わせた。「どうぞどうぞ」と言って、佐藤さんはこちらを嬉しそうに眺めている。
そのあとに、「これもよかったらもらってくれるかな? メリークリスマス」と言って、丸テーブルの上に透明のクリスマスツリーのガラス細工を置いた。小指ほどの大きさで、薄っすらと黄色味がかった色合いのクリスマスツリー。頂点には星型の細工が乗っかっている。
「私は、昔からガラス細工を集めるのが好きでね。ささやかながら、私からのクリスマス
プレゼントだと思ってくれたら嬉しいです」
「ありがとうございます。ガラス細工ですか、透き通っていて綺麗ですね! 大切にします」おれは幼少期のクリスマスの日を思い出した。サンタさんからのプレゼントに興奮したあの頃の思い出が一気に蘇ってくる。白髪の佐藤さんが一瞬本物のサンタクロースに見えた。
 一時間程度、佐藤さんと談笑し、時刻は午後十時になった。
佐藤さんは「そろそろ私は部屋に戻るね。おかげで楽しいクリスマスを過ごせたよ、ありがとう。風邪ひかないようにあったかくして寝るんだよ。おやすみなさい」と言って、自室へと帰って行った。部屋はまた、ストーブの音だけになった。
 寝る準備を済ませ、間接照明だけの部屋で、布団に包まりながら、丸テーブルにポツンと立っている小さなクリスマスツリーを眺め、自然と眠りについた。
ここに移り住んでから、今日まで人とはほとんど連絡も取らず、仕事だけの日々を過ごしていた。たまに親から電話がかかってくるが、おれから実家に連絡したことは一度もない。新しい出会いもないので、彼女もいない、友達もできない。唯一、腹を割って話せる相手は隣人の佐藤さんだけである。彼は、常に鷹揚(おうよう)に構えている。それがなんとも頼もしい。まさに、春風(しゅんぷう)駘蕩(たいとう)とした人柄である。
大阪から独りここに移り住み、新入社員として働き始めてから八年の月日が流れた――。

#4へ続く


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