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【エッセイ】『巣立ち』出逢いと別れ(前編)

 僕は以前、一匹のウサギを飼っていた。数ヶ月前にお別れしたばかりだ。出会いと別れは、決して人間ばかりではなく、飼っていたペットを失うつらさも半端ではない。
 たかがウサギと思われるかもしれないが、一度家族の一員になると、人も動物も関係ない。まったく人間と同じように扱っていた。
 僕の家では、ペットを飼うことは、かたくなに反対されていた。特に母親は、最終的に自分が世話をするハメになることを予想してか、何度説得を試みても、最後まで首を縦に振らないでいた。
 僕が、小学校四年生の頃、近くのスーパーに父親と二人で買い物に行った時のことである。
 買い物を終えて屋上に止めてあった車に向かっていた途中に、ペットショップがあった。鳥や犬、猫とたくさんの動物達がいる中、僕の目に飛び込んできたのが、灰色で、首の箇所だけが真っ白の“子ウサギ”だった。少し潤んだつぶらな瞳で僕を見つめている。
「狭い籠の中から早く出して」と僕に訴えかけているように感じた。
そして、あまりの可愛らしさに思わず触れてみたくなり、抱かせてもらう事にした。手のひらにすっぽり納まるサイズで、まるでふわふわの綿のような感触だった。小さな鼻をヒクヒクと動かしながら、僕に抱かれてとても居心地がよさそうに丸くなっている。
 その瞬間、「飼いたい」と真剣に父にお願いをした。予想外に父は、少し間をおいてから「しょうがないなぁ~」と言って許可してくれた。その時は本当に至福の喜びに浸っていたがしかし、その喜びも束の間、帰りの車の中で、重大なことに気がついてしまった。最も反対していた母親の顔が、頭に浮かんだのだ。このまま当然のようにウサギを持って帰っても受け入れてくれるはずがない。いくら頭の悪い僕でも少し考えればどんな状況に陥るかぐらいは理解できた。
 僕は、帰宅途中の車の中で、日頃使わない頭を、フル回転させて、説得する方法を必死で考えたが、結局良い案は浮かばず、とうとう家に着いてしまった。
 恐る恐る家のドアを開き、入ろうとした瞬間二階から母親がタイミング悪く、降りてきた。そして、じっと僕の抱えるウサギを不思議そうに見ている。まさか衝動買いをしたなど口が裂けても言えない状況だった。何も言えないまま、静かにその時が過ぎるのを待った。それぐらいしか僕にはできなかった。
 そのとき、見かねた父が、記憶が定かではないが、何か一言、母親に言ってくれたのだろう。ウサギを飼う事を許可した父にも少なからず僕をフォローする責任があるわけで、父の頑張りで仕方なく許可してくれるということになった。
 何とか第二関門を突破した。改めて、生まれて初めてのペットを飼えるという喜びをかみ締めた。今思うと、さすがに母親も、買ってきた動物を返してきなさいとは言えなかったに違いない。初めは、毎日世話するから! と、意気込んでいたものの、結局、何週間か後には、母親の予想を裏切ることなく、すべての世話を任せている自分がいた。母親にとっては、甚だいい迷惑だっただろう。
 ウサギの名前は、朝、仕事に行く前に、父親が咄嗟に考えた“チャッピー”という名に決まった。チャッピーは普通のウサギの平均寿命を大きく上回る、約十年という驚異的な年月を生き延びた。しかし、驚くのはまだ早い。なんと、冬は極寒、夏は灼熱のガレージの中で、強靭な忍耐力を発揮し、生き延びていたのだ。少し大げさな表現かもしれないが、傍から見れば、あれは動物虐待のように見えたかもしれない。実際に近所のおばさんにも、「うさぎちゃん大丈夫?」と心配されたこともあった。
 試行錯誤繰り返した末に、あまりに過酷な環境だが、突然わが家の一員になったチャッピーには、申し訳ないがガレージで暮らしてもらうしかなかったのだ。もしも人間の言葉が理解できるなら心から「すまない」とチャッピーに頭を下げたい。
 ペットショップでウサギはデリケートな動物なので、人間と同じように育ててくださいねと、忠告されていたにもかかわらず、チャッピーの生命力にかけて、そのような過酷な環境で育てていた。今思えば、恐ろしいほどにギャンブル性が高すぎる行動に出たものである。でもチャッピーの目を見た瞬間、「こいつなら問題ない!」と確信して過酷なガレージへと彼を送り出したのだ。
 しかし、チャッピーにとって何も、マイナスな面だけではなかったと思う。ガレージで放し飼いにしていたため、小学校のウサギ小屋以上のスペースを一人占めできるのだ。
 ちなみに、自分の部屋よりもチャッピーの部屋の方が広かった。正直、それは複雑な気持ちだ。
 そのおかげと言っては言い過ぎかもしれないが、恵まれたスペースを与えられたチャッピーは、毎日、無駄に元気よく走り周っていた。シャッターを開ければ一目散に脱走し、近所の家のガレージや、家と家の間に入り込み、しばらく帰ってこない時もしばしばあった。脱走に飽きたら、勝手に自分のガレージに戻ってきているので、いちいち必死に探す必要もなかった。
 タフな環境で身につけた生命力と、毎日、有り余るスペースによって培われた体力が、十年間生きることを可能にしたのかもしれない。
 そんなチャッピーにも、年に数回、体調不良はあった。いくらタフな人間でも年に一度や二度は風邪をひくだろう。その程度のレベルである。それ以外は、健康そのもので、彼はマイペースに生きていた。朝になって飯をモリモリ食べては走り回る。昼になればグーグー昼寝をして、夜になったらまた飯を思いっきり食っていた。羨ましいほどに自由な生き方である。
 チャッピーは二、三年のうちにすくすくと成長し、あっという間に大きくなってしまった。飼いの親としては、子供の成長を喜ぶものかもしれないが、少し複雑だった。できるなら小さいままでいてほしい、というのが本音だった。
 ペットショップで売られている時に “子ウサギ”というネーミングで売られていたのに、どうして・・・どうしてなんだチャッピー……。よくよく考えてみたら単に、僕が勘違いしていただけということに気がついた。子ウサギという種類ではなく、“子供のウサギ”というだけの話だったのだ。そういう紛らわしいネーミングは避けてもらいたいものだ。きっと、僕と同じようにずっと小さいままのウサギだと勘違いして買って行った人がたくさんいるはずだ。
 しかし、そんな珍しい種類のウサギが、三千円前後の特価で売られているわけがないと今になって思えば納得できる。その頃の僕の弱い頭ではそんな考えは浮かばなかった。

後編に続く。


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