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【エッセイ】『巣立ち』出逢いと別れ(後編)

 小学校の時、チャッピーは僕にとって遊び道具にすぎなかった。「ガオォォォー」と叫んでチャッピーを驚かしたり、追い掛け回して虫取り網で捕まえたりして遊んでいた。
 常にチャッピーは僕の虐待に怯えていた。五大将軍徳川綱吉の時代に生まれていたら確実に生類憐みの令に反して切腹を余儀なくされていただろう。野良猫や犬に襲われた時でもチャッピーはどうにか難を逃れていた。日頃の僕の訓練が功を奏しているのだと勝手に思っていた。
 性格も神経質で常に警戒心むき出しのウサギに育ってしまい、抱くことすらできなかった。チャッピーがこうなったのはすべて僕の責任だと家族に責められたりもした。否定できないのが悔しい。
 徐々に僕が大人になっていくにつれ、チャッピーの神経過敏さも落ちつき始めてきた。高校受験の時も大学受験の時も、僕は家で一人勉強している機会が多かった。チャッピーは一人で孤独に受験と戦っている僕の、いつも支えになってくれた。僕は、いつも勉強に疲れて、崩れてしまいそうになったらチャッピーの所へ行って癒してもらっていた。
 ガレージのドアを開けると、すぐに僕の側に駆け寄ってきてくれる。
そして、チャッピーは頭を撫でられるのが好きだったようで僕の手に頭を寄せてきて、撫でてほしいと訴えてくるのだ。ぼくは、すぐに愛情を込めて頭を撫でてやる。
 しばらく撫でてあげると、お返しとばかりに僕の手をペロペロと何度も舐めて喜びを示してくれる。そんな時、僕は、何度も涙した。チャッピーの優しさが僕には一番の心の薬だった。心の傷を癒すように手の平を何度も舐めてくれる優しさに感極まった事は幾度となくあった。チャッピーといる時は思いっきり泣きたいだけ泣ける時だった。僕の泣きの居場所はここだと思ったりもした。
 長年一緒に暮らしていると、なんとなく、行動が人間に似てきていたような気がする。ウサギは、犬などと違って、鳴くこともできなければ、意思を伝えることすらできないと思っていたが、そうではなかった。
 お腹がすいたとき、眠たいとき、撫でてほしとき、かまってほしいとき、そして、嬉しいときなど、明確に行動や表情によって表していたのだ。最後は、チャッピーの気持ちをはっきりと理解できるまでになっていた。心が落ち込んでいる時、チャッピーを見ていると、不思議なことに、少し元気が湧いてきた気がする。動物には、人間の心を癒す力があると思う。僕は、何度もその癒しによって助けられてきたのだから。
 そして、そんなチャッピーとも、遂に別れのときがきた。
 ある晩、大学から帰ってきた僕は、いつも通りガレージにいってみると、明らかに様子がおかしいことに気がつき、しばらく側についていた。まさかとは思ったが、嫌な予感が、僕の頭の中を何度もよぎった。
 歩くのもままならない状態にもかかわらず、チャッピーは僕のもとにやってきて、撫でてほしいと言わんばかりに寄り添ってくるのだ。僕は、たまらなく胸が熱くなり、涙をこらえるのがやっとだった。辛いなら無理してこっちに来なくてもいいよという思いでいっぱいだった。そして僕の嫌な予感が  次の日の早朝、現実となる。
 母親が、寝ていた僕を起こし、その知らせを伝えにきた。寝起きだったせいかしばらく状況を把握できなかった。もしかすると、現実を受け止めたくなかったのかもしれない。
 しかし、前日の晩に、頭の片隅で、ぼんやりと覚悟していたので、受け入れざるを得なかった。ガレージに行って、恐る恐るドアを開けてみると、そこには、横たわるチャッピーの姿があった。体に触れると、まだ温もりが残っていた。明け方に、息をひきとったのだろう。覚悟をしていたとはいえ、実際にその時が訪れると、今あるその状況が嘘のように感じ、僕は、ただ呆然と立ちつくし、一気に過去の思い出が走馬灯のように駆け巡った。
 気がつくと、地面が濡れるほどの涙が、とめどなくこぼれていた。あまりのつらさに、横たわるチャッピーを直視できなかった。初めて、一番身近な存在をなくした瞬間だ。想像以上の悲しみだった。
 ただ一つだけ、救われたことがある。それは、病気で苦しんで死んだのではなく、安らかに死んでいってくれたことだ。チャッピーの顔が僕には笑みを浮かべているように見えた。チャッピーは、この十年間をこの家で暮らし、幸せだったと思ってくれていたのかもしれない。そう思うことで、少し気持ちが、楽になった。
 しばらくしてチャッピーを火葬してもらうために、動物霊園に母が電話をしている。そのとき僕は泣き崩れた状態で電話などできるはずもない。僕とは対照的に母は至って冷静だった。自分はこんなにも悲しいのにどうしてあんなにも冷静でいられるんだと真剣に思った。母のその平然な態度に少し怒りに似た感情が込み上げてきた。
 ガレージで横たわるチャッピーを少しでも長く見守ってやりたかったが、あまりの悲しみですぐに毛布に包み僕は部屋に戻った。そしてその日は誰にも会わず、チャッピーのことで頭の中はいっぱいだった。「明日チャッピーを火葬場に連れて行くから」と母が僕に知らせに来た。部屋でうずくまる僕は「わかった」と一言だけ答えるのがやっとだった。二時間ほど思い出に浸りながら泣き続けたあと、チャッピーに最後に詩を贈ろうという考えが浮かんだ。ある意味で、それは自分自身に贈った詩と言った方が適切かもしれない。
 以前から僕は詩を書くのが趣味で、事あるごとにたくさんの詩を書いては保存している。詩とは、その時々の情景や心理状況などをそのままリアルに記録できるものだと思う。
 それはその後を生きぬく自分にとって、大きな財産となる。
悲しみを押し殺して、ありのままを書く僕の手は小刻みに震えていた。そのことがとても印象深い。まともに文字も書けない状況だったのだ。究極の悲しみを味わった時、体の箇所に異常をきたすとはこのことなんだと思った。紙の上の弱々しい文字が涙の滴で滲んでいる。それを見てまた次の涙の粒が溢れ出てくる。
 子供から大人へと成長しても人の持つ涙の量は変わらないんだとふと思った。やっとの思いで、書き上げた詩には“巣立ち”というタイトルを付けた。
この詩をチャッピーの横に添えてお別れをした。
 それから三日間、僕は、一人になると涙が枯れるまでに泣き続けた。その涙の量が、悲しみの度合を物語っている。
人間は生きている間に、何度も別れを経験するだろう。一言で別れと言っても色々あり、それは避けて通れない道でもある。
 しかし、その度に、いつまでも立ち止まって、悲しんでいても前には進めない。悲しいときは、気が済むまで泣けばいいと思う。心にたまった悲しみは、涙によって洗い流せるものだ。そう自分に言い聞かし、僕は、チャッピーとの別れを受け入れ、亡くなったのではなく自分のもとから巣立っていったのだと考えている。
 別れを経験すると、どうしてもその幸せだった過程を忘れ、つらさだけが残りがちだが、出会ったことの素晴らしさに、もっと目を向けてみるべきだろう。
 出会ったことで、たくさんの素晴らしい思い出を自分の心に刻みこむことができたのだから、それほど素晴らしいことはないはずだ。そう理解すると、出会いと別れをもっと、素晴らしく貴重なものとして受け入れることができるのではないだろうか。
 
おわり


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