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社会に属すことはそんなに大切なことか

親戚の家に行く度に就職のことを聞かれる。親戚のおばさんから毎回、

「どんな職種で働くの?」「どこで働くの?」

ライターとして働きたいし、実際にライティングをしている。ライターとなると在宅で書けるので場所は関係ないから気にしてないって言いたいけれどそんなことを言ったら固まるだろうし、って思って

「アハハ…」

って適当に笑ってごまかした。

固まる姿も見たくなかったし、否定されるのもイヤだった。自分の気になることを正直に答えたのに「いや、でも会社員になったら?」とか言われるたら思わず(じゃあそんなこと聞かないでよ)って絶対に思ってしまいそうだったからだ。

生きていればそれだけで立派なんじゃないの

正直ある程度生きていればいいんじゃないかなって思っている。

家族や親戚に誰にも言っていないけれど、一時期病みすぎて「私なんて生きている価値がないから死にたい」って1日1回は思っていたし、泣きすぎて目が腫れることもよくあった。

生きていてずっとハッピー!って思うことは続かないし、苦しいこともあるから生きることは難しいと思う。だから私は会社員で働いていなくても、生きている意味はあるんじゃないかって。

でも親戚は「会社員として働く私」を求めているし、きっと家族だってそうだ。

迷い

たびたびnoteで書いている気がするけれど、webライターになろうと思っているくせに「本当にこれでいいのか」思い続けている。正直、ライターといのは決して楽な仕事ではない。でも、単価が大きい仕事も決して多いとは言えない。

仕事によっては文章を書くことの他にSEOを意識しながらキーワードを選定し、文章を作成するものやWordPressで装飾し投稿するもの、大枠のジャンルだけが決められ、書く内容についてはクライアントと連絡をとりながら決定していったりと、思えば「文章を書く」こと以外にもやってきた気がする。(始めてから3ヶ月ぐらいしか経ってないペーペーなんだけど)

多分、仕事をしていて「めっちゃ楽!」って思うものは世界にほぼないんじゃないかなって最近思った。

楽だったら嬉しいけれど、少しでも自分の個性に合った仕事ができて、さまざまな仕事がある中なら「これはまあ、できるなあ」ってなんとなく思えるものに出会えればいいんじゃないか。

大変だけど「楽しい」って思いながらできる仕事を今就いているひとはすごく幸せ者だろうし、私にとってはうらやましい。

今は「んーこれ向いているのかな」って思いながらとりあえず書いている。多分文章を書くのは早いと言えないスピードだ。1日で1万字を書くのは未だに難しいし今日8000字書いてゼェハァしてる。しかも、書いていて全然自分は文章の表現の幅がないことに気付かされる。

ときどき、新しいことをするとできることが増えて嬉しくなることはある。数カ月後のわたしはもう少し文章が書くのがうまくなっていて、「わたし頑張ったな~」とか思ったりするのかな。

就活する気も起きないし、とりあえず何かしないと不安になるから、とりあえず仕事をもらって書いてる。

目標

しばらくの私の目標は一月で5万円の収入を達成すること。

今月5万円いきました、ってnoteで報告できたらいいな。

お金よりも自分の生活の充実感、不安になりやすい私ができる限り生きやすい環境で生活することが大切なんだろうって思っている。けれど、やっぱり「もっとライティングで稼がなくちゃ」って気持ちになり、日記を書いているけれどそういうことばっかり書いてしまう。

正直、1ヶ月で5万円の収入って全然少ないって思うよね。わかってるよ。

15万円達成したら親戚に「私webライターになるんで!」って言いたい。15万円もまあ少ないと思うけれどわたしの1つのボーダーラインだ。もちろん、ある程度一人で生活できるくらいのお金は欲しいし、できることなら稼ぎたい。

子供の戯言に聞こえただろうか。

数年後にこのnoteを見たら「この頃のワタシ、全然なにも考えてないじゃん」って思いながら黙って消したりするのだろうか。

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