〇頭では分かってる。でもね、
3ヶ月ほど前から、私の目の前に突如として現れた「嫌な奴」。(嫌な人、と表現したくないくらいムカついてる!)
チクチクと「嫌だなあ…」と思っていたけれど、昨日のある出来事をきっかけにムカツキ度マックス。
むかつくという行為自体にカロリーを使うから、正直「無」になりたいのだが、
頭では分かっていても気持ちは変化しない。
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よく「頭では分かっているのに…」という言葉を耳にする。
特に聞くのはダメンズに引っかかっている女子。あるいはダイエット中なのに暴食してしまった時。
ふと、「頭では分かっているのに気持ちが許さない」ってどういう状態だろうと思った。
結論から言えば、きっと頭でも分かっていない。
分かったフリをしているだけなのだろう。
今回の私の怒りに対する正しい対処法は、相手に対して何も思わないこと。遮断すること。
やられたことに対して、「自分は他人にやらないようにしよう」という成長の糧にする必要はあるけれど、それ以上の感情はエネルギーの無駄。
なのに、一夜明けた今でも腹を立てている。
きっと相手に対して「無」になる方が良いことを、頭の隅では良しとしていない。
だから私にとって「頭では分かっているのに」という表現の仕方は、間違いなのだ。
正しくは「頭では分かったフリをしていた。そしてやっぱりダメだった」。
最近読んだ『生殖記』では、こんなことが書いてある。
出勤と言うよりは、何もかもが異なる別の星に毎日日帰りで出稼ぎに行っていると思ったほうが“しっくり”くる。そんな毎日なんです。
この本の主人公、尚成は幼少期からそういう風に断絶せざるを得えなかった事情があるから、ここまで極端なことはきっと私には難しい。
けれど嫌なことがあった時、しんどいなって思った時。こんな風に自分と世界(社会)を切り離す考え方もあるのだな、と素直に感心した。
今の時代、「出稼ぎ」という言葉をあまり使わなくなったけれど、そんなふうに少し距離を取るだけで息がしやすくなることを、きっと現代人は忘れてしまっているのかもしれない。
p.s.上記のプリプリと怒っていたタイミングと、『生殖記』の引用後は書いたタイミングが違うので若干感情がチグハグになっています。
今、冷静に考えると「めっちゃ怒ってんなー、私w」くらいの感情で読めるけれど、この時は本当にはらわた煮えくり返っていたから面白い。
人間って、ずっと同じ感情のまま過ごすことはできない生き物なのだろうな。
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