今まさに四方の壁にぶつかって出口の見えない悩みって人には話せないよね。。 誰かに話せるように、心の中で少しでも整理ができるようになったってことは少なからずとも自分では出口の光が差してきてるって事。 あとはその背中を誰かに押して欲しかったりする時。。
④ 父が亡くなった夏休み。 母は仕事でお付き合いのあった方々に迷惑をかけれないと家業を継続、私達兄弟は母の親元へ預けられた。真夏に化粧もせず言葉通り「駆けずり回っている」母の姿が思い出される。 叔父も叔母もとても良くしてくれたけれど、母に会えない夏休みは寂しかったし、ひとつ上の兄も心のバランスを崩していたのか私への虐めが悪化していく。 いとこのお姉ちゃんから貰ったメモ帳や鉛筆を隠してしまったり、貰ったお小遣いもこっそり取られてしまったり、叔母たちが見ていない時に理由なく青
③ 「ただい・・・ま・・・」 終業式を終え、いつものように帰宅すると、家には親戚の叔父と叔母と知らない大人が沢山いて、何やら騒がしい。 子供でも一瞬にして異様な雰囲気に気が付く。不安になってキョロキョロと母を探すがどこにも見当たらない すると親戚の叔母ちゃんが私を抱きしめて無言で頭を撫でてきた。ただただずっと抱きしめてくれていた。誰も何も言ってくれない時間が暫く、いや、かなり長く続いた後、母が父と帰ってきた。。。 父はもう動かぬ人 白装束になって帰ってきて、用意さ
② 私の家は自営をしており、祖父からの2代目として父が家業を継いでおりました。 生真面目な父で、商売はもとより町内からも信頼もあり、町内会、祭りや行事ごとの多かった田舎だったので、その役や自衛団、青年会議所の役員など、常に肩書きも多く、いつも沢山の仲間に囲まれている···そんな父を私も幼いながらも誇りに思っていた。 私には年子の兄がおり、父は何故か兄には厳しい。まだ幼いのに手を上げる事はいつもの事で、ある時は叱って雪の積もった庭に放り投げた事もあった。 それは母が庇えば庇
今日のおやつ☕
① 「自分」という人間をキャベツみたいに1枚1枚捲って真っ裸にするなら、外せないのが幼少期だ。 それまでは 「自分って?」 だなんて振り返りもしなかった。 そう振り返り出したのは自分が母という立場になった頃にやっとだったかもしれない。子供の頃は自分ほど不幸な奴はいない、家出したい、死んだらリセットされるのか?、などと毎日に精一杯で盲目で···そんな余裕すらなかった。 でも社会人になり、自分の世界が狭い家の中から外へと行動範囲が広がると、
note初投稿(❁˘ ˘❁) 今まで子育てブログや他のSNSは経験ありましたがここで自分についての振り返りも兼ねて、日常のどうでもいい呟きに加え、noteにしたためていきたいな、なんて思っています🐻 どうぞよろしくお願いします🙇⤵