自分って(4)
④
父が亡くなった夏休み。
母は仕事でお付き合いのあった方々に迷惑をかけれないと家業を継続、私達兄弟は母の親元へ預けられた。真夏に化粧もせず言葉通り「駆けずり回っている」母の姿が思い出される。
叔父も叔母もとても良くしてくれたけれど、母に会えない夏休みは寂しかったし、ひとつ上の兄も心のバランスを崩していたのか私への虐めが悪化していく。
いとこのお姉ちゃんから貰ったメモ帳や鉛筆を隠してしまったり、貰ったお小遣いもこっそり取られてしまったり、叔母たちが見ていない時に理由なく青あざが出来るほどつねってきたりした。もう父は庇ってくれない、周りに迷惑をかけちゃいけないと思った私はこの頃から自分が黙っていたらいいんだろうと我慢するようになってしまった。
内頬を血が出るまで噛む癖もこの頃、少々の痛みにも鈍感になっていった気がする。。
夏休みが終わり、兄と私は母と祖母の待つ我が家へ戻った。
倒産と言う形ではなく、廃業という形で家業を終う事が出来たこともあり、祖母も子供達(父の兄弟)の家と我が家を行き来し滞在するようになったので、母と兄と私、3人での生活が日常になった。
と同時に兄の家庭内暴力が始まったのも小学5年の頃からだ。