ワーパパと涅槃経

こんにちは。
3人娘を育てている、ベンチャー企業のCTOです。


涅槃経

初期仏教の一つに涅槃経があります。
これは、ゴータマ・シッダールタ(以下、ブッダ)が涅槃に入る前の様子が描かれたストーリー仕立ての経典です。

この涅槃経では、サンガと呼ぶ仏教僧団をどのように維持していくかを示した、組織論を取り扱っています。
僧は、そしてサンガは何を信じるべきか、大切とすべきものは何かといったことが書かれています。

100分de名著シリーズの解説書を拝読しました。

涅槃経には二種類あり、一つは初期仏教の涅槃経、もう一つは大乗仏教の大乗涅槃経です。
この解説書では、初期仏教の涅槃経を取り扱っています。

三宝

聖徳太子による十七条憲法には「篤く三宝を敬え」という記述があります。
この三宝とは、仏教の構成要素である仏・法・僧を指します。

  • 仏:ブッダご自身

  • 法:ブッタの教え

  • 僧:仏教僧団(サンガ)

悟りを得るためには、ブッダとブッダの教えだけではなく、修行のための組織が必要だと言われています。
その組織がサンガであり、涅槃経ではそのサンガの維持の方法について記載しています。

七法

サンガを良く維持するための七つの条件をブッダは語っています。

  • 僧たちがしばしば集会を開き、多くのものが参集する。

  • 僧たちが一丸となって集合し、一丸となって行動し、一丸となってサンガの業務を遂行する。

  • 僧たちが、定められていないことを定めず、すでに定められたことを破らず、定められた法律を守って行動する。

  • 僧たちが、経験豊かである長老たちを敬い、供養し、その言葉に耳を傾ける。

  • 僧たちが、輪廻の再生を引き起こす渇愛に支配されない。

  • 僧たちが、閑静な郊外の住処に住むことを望む。

  • 僧たちが、心の思いを安定させ、まだ来ない良き修行者が来るように、すでに来た修行者が快適に暮らせるように願う。

サンガは組織の拡大は求めておらず、修行の場の提供と維持を行います。
ここにはリーダーは不在です。

サンガには戒律が設けられており、この心構えを破ると禍いが降りかかるといわれます。
「精神が錯乱して死に、地獄に転生する」そうです。

涅槃に入るための四条件

サンガでは、悟りを開いて涅槃に入ることを目的として修行を行います。
涅槃に入るための条件をブッダは示しており、それをセルフチェックするべしと語っています。

  • 仏に対して清らかな信頼の気持ちを起こしているか。

  • 法に対して清らかな信頼の気持ちを起こしているか。

  • 僧(サンガ)に対して清らかな信頼の気持ちを起こしているか。

  • 最高にすぐれた心がまえを身に付けているか

ここでは、仏・法・僧への信頼と、規律に従った生活を送っているかを自分で振り返る必要があります。
これらが満たされていれば、自分の進んでいる方向が涅槃を向いていると言えます。

自灯明法灯明

信じるべきは、自分自身とブッダの教えだとしています。

自分自身を島とし、自分自身を拠り所として生きよ。
それ以外のものを拠り所としてはならない。
ブッダの教え(法)を島とし、ブッダの教えを拠り所として生きよ。
それ以外のものを拠り所としてはならない。

涅槃経

ここでいう島は、川の中洲のことで、洪水のときに掴まれるような場所を指しています。

日本では、この島のことを、暗闇を照らす灯明として解釈します。
そのため、自灯明法灯明という言葉で解釈されます。

仏教では、ブッダを神のように崇めるのではなく、ブッダの教えを信じ、自分自身で努力していくことが求められます。

四念処

自分と法を拠り所にして生きるための、より具体的な修行方法が四念処と呼ばれるものです。

  • 身:(不浄感)肉体を、大切なもの、美しいものと捉えてはならない

  • 受:(一切皆苦)心地よさや楽しさ等も煩悩の発生源である

  • 心:(諸行無常)すべては移ろいゆくものである

  • 法:(諸法無我)自分というものは存在しない

これらの考え方を入り口として、トータル37の三十七菩提分法とよばれるカリキュラムが用意されています。

涅槃に入る時の言葉

ブッダは、涅槃に入る前に、何を拠り所とするかを再度説きます。

お前たちは「もう我らの師はおられない」と考えてはならない。
私の説いた法と私の定めた律こそが、私亡き後の師である。

涅槃経

ここでも、ブッダ自身を求めるのではなく、ブッダの教えに従いうことを大切としています。

ワーパパと涅槃経

仏教では、「ブッダ」のようなわかりやすい象徴を信奉するのではなく、あくまでも教えを学ぶことを軸としているようです。
そしてその教えも、ある種のわかりずらいものでもあります。
さらに自分自身を拠り所にせよとも言っています。

「わかりやすい何かを信じれば良い」というものではなく、自分と教えを信じて、自分でセルフチェックをしながら修行を続けるという世界観です。
わかりやすさから距離を置き、四念処をはじめとした複雑で難解な37のカリキュラムをこなすことを求められます。

在家のワーパパが仏教の修行はできませんが、この「わかりやすい何かを信じれば良い」というわけではない視点は、現代日本にとって大事なように思えます。

年功序列・終身雇用はわかりやすく、ひたすら一つの企業に長く勤めれば、必ず給与があがるというシステムです。
仕事において、言われたことだけやる、与えられた仕事だけをやるというのも、不確定性が少ないわかりやすい状況だと言えそうです。

しかし、現代日本で求められているのは、不確定性に向き合う姿勢と力のようです。
仏教の姿勢は、いまの日本に必要なもののヒントになるかもしれないと感じます。

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