【辛】我が野球人生。ミスターフルスイング。
2021.06.07(月)
ご覧の皆さんこんばんは。
saku【柑橘農家】です。
本日は農業とは少し関係ない話を。
皆さん学生時代部活動をしておりましたでしょうか。
運動部、文化部、あるいは帰宅部。
色々あると思います。
私は小学生でソフトボールを3年間。
中学生で軟式野球を3年間。
高校生で硬式野球を3年間しておりました。
ほぼずっと坊主でした。今思えばよくやったなと。
小学生の時のソフトボールは完全に姉の影響でした。姉が二人ともソフトボールをしていたので、練習を見に行ったり試合を見に行ったり。自然の流れで男子の練習にも混ざるようになりそのままやっていた感じです。
「プロ野球選手になるんだ。」口癖でした。
中学で軟式野球を始めた時、小学生の時にはなかった上下関係というものが発生してきました。先輩にめちゃびびってました。中1と中3なんてすごい差ですからね。口効くのも怖かったです。これが上下関係かと、、、、、
中学の時まではまだ自分は上手いんだと思ってました。キャプテンを任されて、後輩達が異常に上手い中頑張ってレギュラーだったので、、、3番だったんですけどバントが好きだったのでバントばかりしてました。
バントが好きだった理由は明確にあります。
週刊少年ジャンプで連載していた「ミスターフルスイング」というマンガをご存じでしょうか。このマンガがめちゃめちゃ好きでした。
その中で「猪里先輩」というキャラがいました。主人公「猿野天国」の1学年上の先輩なのですが、彼はバントが異常に上手でした。それにグランドを観察しイレギュラーしそうな所にピンポイントに打球を打てるすごい能力を持っていました。めちゃめちゃすごいんです。私は2番バッターという伏兵的な役割がとても好きになったのです。僕は3番だったんですけど。「猪里先輩」は今でも大好きです。
高校の硬式野球部はまさに地獄でした。これ以上の苦しみがあっていいのかくらいでした。高校の学校内での記憶がほぼ無いのは間違いなく部活のお陰(?)だと思ってます。記憶が全てグラウンドです。何でか実家の山で部員全員で収穫の手伝いをしたこともありました。謎です。
そんな地獄でも最後試合が終わったらやっぱり泣いてしまいましたね。最後はなんだかんだ後悔が残るもんだなと。もっと練習しとけばよかったなと今でも思います。そんな思い出です。
今髪を伸ばしているのは完全にその反動です。
今回は猪里先輩を皆さんに覚えて貰えればオッケーです。
ミスターフルスイングぜひ読んでみてください。ギャグ多めだけど。
今日は以上です。サーッッッッ!!!